褒められたい。
いや、正確に言うと、褒められたくはある。自分がやったことを見ていてほしいし、できれば「よかった」と言ってほしい。反応がないと、それはそれで寂しい。スターとか、軽い感想とか、そういう薄い承認はかなりうれしい。
でも、面と向かって褒められるのはしんどい。
「これ、すごくよかったです」「本当に助かりました」「さすがですね」みたいに言われると、まずありがとうございますと言わなければならない。でも実際には、ありがとうございますの前に、いやいやいや、そんな大したことしてないです、今回はたまたまです、次も同じようにできるとは限らないです、という言葉が頭の中に一気に浮かぶ。
結局、
「ありがとうございます!とはいえ、それはちょっと褒めすぎですわ。今回はうまく行っただけで、次回以降に同等以上のクオリティを求められてもできるかわからないです、アハハ……すみません」
みたいな、褒められたことへの謝罪なのか、褒めを訂正しているのか、よくわからない返事をしてしまう。
褒められた瞬間に、次回への期待や責任まで一緒に渡される感じがする。今回できたことを喜んでいいはずなのに、「次もこれくらいできる人間だと思われた」という情報のほうが大きくて、急に逃げたくなる。
褒めは評価というより、期待の予告に聞こえることがある。
職場で褒められると、次のタスクがセットで出てくるような気もする。「予定より早く終わってすごいですね」と言われたら、では次はもっと早く、もっと難しいものを、となる気がする。褒められたので休んでいい、ではなく、褒められたのだから次もやれるよね、になる。
もちろん相手はそんなつもりではないのかもしれない。単純に感心しているだけかもしれないし、親切に言ってくれているだけかもしれない。それでも、褒めるという行為のなかに、感嘆だけでなくコントロールやおだてが混じっているように感じてしまう。褒めておけば動くだろう、機嫌よく働くだろう、というものを疑ってしまう。
だから、褒められてうれしい気持ちもあるのに、素直に受け取れない。
自分の評価と他人からの評価がずれているのもあると思う。自分ではまだ納得していないところを褒められると、「そこじゃない」と憤ることすらある。改善点を指摘してほしい。何が足りないのかを教えてほしい。褒めるだけでは、次にどうすればいいのかわからない。
でも、批判されたらされたで普通に傷つく。褒めも批判も、結局は相手の都合のいい結果に対する反応にすぎない、と考えれば気にしなくていいのだろうけど、そんなに器用に切り離せない。
たぶん、自分で自分を認めることに慣れていない。褒められている自分を見ると、「調子に乗るな」「浮かれるな」「おまえはそんな人間じゃない」と心のどこかで言われる。褒められることは、自分を大きく見積もることと同じだと思っていたのかもしれない。
適時にさらっと人を褒められる人を見ると、まぶしい。きっとそういうふうに褒められて育ったのだろうなと思う。褒められたら「ありがとう」と言って、笑って、受け取る。その一連の動作が自然にできる。自分にはそれができない。
とりあえず、褒められたら「ありがとうございます」だけ言えるようになりたい。「そんなことないです」と返すのは、褒めた相手が間違っていると言っているのと同じなのかもしれない。相手の感想を否定せず、今回の成果だけを受け取る。それくらいならできるかもしれない。
期待はされたくない。でも、成果は見てほしい。
個体として優秀だと思われたいわけではなく、そのときやったことについて「よかった」と言ってほしい。褒められた結果、次も同じものを求められるのではなく、その一回分だけ、静かに認めてほしい。
面と向かって大げさに言われるより、あとから人づてに「よかったって言ってたよ」と聞くくらいがちょうどいい。あるいは、はてなスターくらいの、感情が乗りすぎていない反応。
褒められたいのに、褒められるのがしんどい。たぶんこれは、褒めが嫌いなのではなく、褒められたあとに何者かにならなければいけないのが怖いのだと思う。