腐女子が嫌われるのは腐女子のせい、という話をすると、必ず「男オタクだって同じだろ」とか「表現の自由だろ」とかいう話になる。いや、それはそうなんだけど、今回はそこではなくて、なぜ腐女子というものが一般のオタクにまで広がって、しかも妙に正当化されるようになったのか、という話をしたい。
自分はなかよしを読んでいた。だからカードキャプターさくらも、魔法騎士レイアースも、普通に女児向けの作品として読んでいた。キャラクター同士の関係性がきれいで、恋愛や友情や家族愛が描かれている作品だと思っていた。まさか後になって、あれは承太郎と花京院の因子をいろいろな男女キャラに薄めて入れたものだ、という解説を聞かされるとは思わなかった。
エメロード姫とザガート、光とランティス、桃矢と雪兎、小狼とさくら。これらはみんな承太郎と花京院を元にしている、という話がある。もちろん本人たちが公式にそう言ったわけではなく、ファンが昔の同人誌や作家の趣味を掘り返して、作品中の要素を並べて「ほら、答え合わせ」としているだけなのかもしれない。でも、そうやって当然のように語られているのを見ると、子どもの頃に読んでいたものの見え方が変わってしまう。
原作で恋愛関係にない男性キャラ同士を恋愛関係にして、さらに原作ではっきり異性愛者として描かれているキャラまで、別のカップリングの部品として扱う。それを二次創作の中だけでやるなら、まあ勝手にすればいいと思う。けれど、その妄想をオリジナル作品に移植して、何も知らない未成年の読者に、少女漫画や少年漫画の顔をして見せるのはどうなのか。
「元ネタが分からない程度に抽象化されているから別物」「キャラクターをモデルにするのは普通」「翻案や換骨奪胎を知らないのか」と言われるだろう。実際、作品として面白ければそんなことは気にならない人が大半だろうし、自分も読んでいる最中は気づかなかった。後から説明されて、そういう見方もあるのかと思っただけだ。
ただ、ファンが「このキャラも承花、このカップルも承花」と、作品のあちこちに同じ因子を見つけていくのを見ると、単なるモチーフの話ではなく、作者の隠れた妄想を読者に踏ませているように感じる。しかも、それを指摘すると「そんなことを考えるお前の方が腐女子に詳しい」「嫌なら読むな」「表現の自由」と返ってくる。こちらは、知らずに読んでいた側の気持ちを話しているだけなのに、なぜか被害者ぶっていることにされる。
昔のネットでは、女オタクは女であることを隠して、男のふりをして書き込まないといけないような空気があった。「私女だけど」などと書けば、それだけで叩かれた。腐女子やスイーツ(笑)を笑う言葉が飛び交っていた。今になって、あれは全部男が女を叩いていただけ、腐女子は被害者だった、と歴史を書き換える人がいるけれど、実際には自分たちで男になりすまして好き勝手に荒らしていた人もいたし、同性愛板などでの騒ぎもあった。
もちろん男オタクが無害だったと言いたいわけではない。男女のキャラクターを勝手に人格排泄させたり、原作にない関係を作ったり、女性キャラを都合のいい性的な部品にしたりする男性向け二次創作も、同じくらい気持ち悪い。そこを棚に上げて腐女子だけを叩くのはダブルスタンダードだと思う。
でもだからといって、腐女子側の学級会気質や、BLだけは無罪だという態度まで無かったことにはならない。自分たちの妄想を高尚な愛や多様性と言い換え、他人の作品を使って揉め、作者が自分たちの解釈を肯定しないと怒る。その部分が嫌われているのであって、CLAMPだけのせいではない、という反論は分かる。
それでも、CLAMPのような作家が少女漫画のメジャーな場所で、そういう濃いオタク的な関係性を作品の原動力にして名作を作ったことが、今の「何でも公式に接続してよい」空気につながったのではないかと思っている。昔なら一部の人だけが知っていた業の深い同人趣味が、一般向け作品を通じて広く流通した。その結果、何も知らない読者まで後から答え合わせに巻き込まれた。
だから「腐女子が嫌われるのはCLAMPのせいだよ」と言いたい。もちろん文字通り、すべての腐女子の行動をCLAMPの責任にしたいわけではない。腐女子が嫌われる理由は腐女子自身の振る舞いにもある。それでも、あの構造を作った一因として、CLAMPの影響は無視できないと思う。まあ、こんなことを言っている自分が一番CLAMPに執着しているのかもしれないけど。