国防相が交代するというニュースを見て、最初はいつもの戦時人事の話かと思った。でも後任候補として名前が挙がっている人の発言と、徴兵をめぐる反応を読んでいると、単なるポストの入れ替えでは済まない話に見えてきた。

戦争が長引けば、兵士が足りなくなる。これはたぶん、どんな立場の人でも否定しにくい。ドローンや通信技術がいくら進歩しても、前線を見張る人、補給を運ぶ人、占領された場所を守る人まで全部を機械だけで代替できるわけではない。画面の上では小型の機械が戦果を上げているように見えても、地面の上では結局、人間の数が必要になる場面がある。

ただ、その必要性を認めることと、動員のやり方を無条件で肯定することは別だと思う。毎日、外を歩くだけで自分が連れて行かれるかもしれないと怯える生活を想像すると、これは「国を守るためだから」で片付けられる感情ではない。自分の家族が対象になるかもしれない状況なら、制度への不満が噴き出すのは当然だろう。

動員する側にも期限や人数の圧力があり、現場が荒っぽくなる、という話も流れてくる。どこまでが事実なのか、切り取られた動画だけでは判断できない。それでも、国民の協力が必要な制度ほど、手続きの納得感や説明の誠実さが重要になる。乱暴な印象が広がるだけで、必要な動員そのものへの信頼が壊れてしまう。

徴兵を批判する政治家や担当者が人気を集めるのも、耳障りのいいことを言うからだけではないのだと思う。疲れた人たちにとっては、「別の方法があるかもしれない」と口にしてくれる人が必要なのだろう。一方で、その別の方法が前線を維持できる具体策なのかは、また別の問いになる。

効率化、無人機、技術革新。どれも必要だし、実際に命を救うはずだ。でも、それを言えば歩兵の不足まで解決するように語るのは危うい。希望を示す役と、足りない人数を数える役が対立するのは、たぶん戦時には避けられない。

外から見ている自分には、どちらかを軽々しく責める資格はない。ただ、戦争のために国家が国民へ求めるものが増えたとき、その負担をどう説明し、どう公平に分けるかは、勝敗と同じくらい大事なのではないか。国防相の更迭は、その答えをめぐる争いにも見える。