高校野球を見ていると、試合に出る九人だけが部員で、それ以外は背景みたいに扱われる瞬間があって、かなりグロいと思う。入部した時点では、みんな野球をするために来ているはずなのに、公式戦になると「応援する側」と「される側」が固定される。その固定が実力の結果なのは分かる。でも、高校生の三年間に、実戦の機会までほとんど配られない仕組みを当然のものとして眺めるのは嫌だ。強豪校なら二軍、三軍があり、練習試合や紅白戦もあるという。それでも大会の公式記録には残らず、負けたら終わりの一発勝負だけが大きく消費される。野球は人数も場所も時間も使う。だから全員に同じ出場時間を、という話ではない。けれど、登録できるチームを複数にしたり、近い力同士のリーグを整えたりする余地はあるはずだ。サッカーには下のカテゴリーでも公式戦を持てる例があるらしい。陸上ならレギュラーでなくても記録会で自分の記録を更新できる。比べると、野球部でずっと練習だけを続ける子の居場所は細い。「補欠にも意味がある」「競争だから仕方ない」と言う人がいるのも分かる。自分も、勝ち負けがあるから競技は面白いと思う。ただ、勝者の物語を作るために、同じ年齢の大勢を三年間ほぼ観客にしてしまう制度は、面白さより先に残酷さが見える。甲子園のような大きな舞台は、夢として残していい。無名校が強豪に勝つ試合も、最後の一球に全員が息をのむ感じも、否定したいわけではない。むしろ、そこだけを神聖化しすぎて、そこに届かない試合を価値のないものにしているのが変だと思う。「出られなかった人も、仲間だった」と後から言えば済む話ではない。その人が在学中に一度でも、自分の判断で打席に立ち、守り、失敗し、次の試合でやり返せる場があるかどうかだと思う。それを増やす改革を、「甘やかし」や「全員平等」と笑って終えるのは簡単だ。高校野球が好きな人ほど、勝つ九人以外にも野球をさせてほしい。試合に出ることが、部活の真ん中にあってほしい。その当たり前を求めている。それだけだ。本当にね。