日本三國の作者、松木いっか氏のSNSアカウントが削除された経緯について、断片的に出ている情報を整理しておく。
まず前提として、今回の件は作品そのものの内容をめぐる一般的な批評ではなく、作者がSNS上で発信した内容と、それを見た一部のファンの反応が、かなり不幸な形で連鎖してしまったものらしい。私は作品をアニメで知った程度なので、細部まで追えているわけではない。ただ、公開されている反応を見ていると、作中の男性キャラクター同士の関係をどう読むか、また作者が描いた夫婦の絵やキャラクターの扱いをどう受け止めるか、という話が発端になったようだ。
作品を読んだ人が、登場人物に特別な関係性を見出したり、二次創作を楽しんだりすること自体は珍しくない。BLとして読む人も、夢的に楽しむ人も、原作とは別の場所で、他人に押しつけない範囲なら自由に遊べばいいと思う。問題は、その解釈を作者本人のところへ持ち込み、「自分の望んだ形にならなかった」「公式の発言や絵で傷ついた」と訴え、さらに反論や説明を求めるようになったことだろう。
SNSでは、作品に対する感想と作者への要求の境目が簡単に消える。最初は一人の不満でも、似た考えの人が集まると、いつの間にか「公式はこうあるべき」「作者はこの解釈を尊重すべき」という集団の議題になる。そこに、差別、人権、表現への配慮といった強い言葉が加わると、単なる好みの違いが、正義をめぐる糾弾に変わってしまう。
今回も、作者の投稿を見て「女性だと思っていた」「女性キャラの描き方から女性作家だと思った」といった反応があり、それに対する作者側の返しが、嫌味に感じられた人もいたらしい。その後、作者の発言を問題視する投稿や、傷ついたという声が広がり、本人に直接届く形で意見が送られ続けたという。細かな投稿内容や、誰がどの程度関わったのかについては、外からは確認できない情報も多い。BL本を送りつけたという話など、真偽がはっきりしない噂も混じっているので、そこまでを事実として断定するのは危険だと思う。
ただ、事情の細部がどうであれ、作者が自分の作品について発信した場所に、ファンが大勢で押しかけ、作品解釈への不満や傷ついたという感情をぶつけたなら、それはかなり深刻なことだ。嫌いな投稿なら見ない、合わない公式発言があれば距離を置く、二次創作は二次創作の場で楽しむ。昔から言われてきた最低限の線引きが、SNSでは簡単に失われている。
松木氏は、Xの投稿を見たくないファンへの配慮もあって、発信の場をInstagramへ移したとされる。しかし、そこにもファンが追いかけてきて、同じような声を届け続けたという。場所を変えても追いかけられるなら、本人にとっては逃げ場がない。最終的にアカウントを削除する判断に至ったのは、発言への反省や議論の決着というより、これ以上SNSを続けることが作品制作や体調に影響すると考えたからではないか。
もともと体調面の不安や休載が多いという話もあり、アカウント削除によって今後の連載まで不透明になるのではないか、と心配する声も出ている。第一部で区切りがついたとしても、移籍や続編があるのか、作品が予定どおり完結するのかは、現時点では外部から判断できない。作者がSNSを消したことを、連載終了の宣言のように受け止めるべきでもないだろう。まずは本人が落ち着いて制作できる環境に戻れることを願うしかない。
漫画家がSNSを使うことには、読者との距離が近くなる利点がある。制作中の話や小さな裏話を知れたり、作品への感想が直接届いたりするのは、ファンにとってうれしい。しかし、その近さは、ファンが作者を一人の人間ではなく、要求を聞くべき公式アカウントとして扱い始めた瞬間に危うくなる。創作者は、読者の脳内設定を肯定する義務も、すべての感想に答える義務もない。
出版社や編集部がもっと早く間に入れなかったのか、という意見もある。作者が直接対応しなくて済むよう、SNSの運用を分離したり、悪質な投稿を記録して必要なら法的措置を取ったりする仕組みはあってもいい。ただし、出版社が二次創作全体を一律に禁止すれば解決するとも限らない。大多数の人は静かに楽しんでおり、問題なのは作品の外で他人を攻撃する行為だからだ。
今回の件を、腐女子全体、女性オタク全体、あるいは特定の属性の人たち全体の問題にしてしまうのも違う。実際に攻撃した人がいるなら、その行動を批判すべきであって、趣味や性別を理由に一括りにする必要はない。反対に、「傷ついた」という言葉が出たからといって、作者に説明や謝罪を迫ってよいわけでもない。感情は本物でも、その感情の処理を作者に背負わせることは別の問題だ。
SNSは、意見を言う場所というより、意見が増幅される場所になっている。正しいかどうかを考える前に、仲間がいるか、相手を負かせるか、話題を維持できるかで投稿が動いてしまう。漫画家のように、作品だけでなく本人の発言まで常に見られる立場の人には、あまりにも負担が大きい。告知だけにする、個人サイトに戻る、アカウント自体を持たない。そういう選択が、今後は珍しくなくなるのかもしれない。
日本三國を楽しみにしている読者にできることは、作者の沈黙を無理に破ろうとしないことだと思う。続きが読みたい、完結してほしいという気持ちはあっても、それを本人へ何度も届ける必要はない。作品と作者を応援することは、作者の生活や心の内側まで所有することではない。
好きな作品だからこそ、公式に触れられる距離を間違えない。解釈が合わなければ離れる。言いたいことがあっても、本人に届く形で投げる前に一度止まる。その当たり前が守られなかった結果として、ひとつの創作の場が消えてしまった。これ以上、作者が制作を続けるための場所まで失われないことを願っている。