「ミュージシャンなら音楽で意見表明しろ」という言い方を見かけて、なんだそれ、と思った。

ミュージシャンが政治や社会について発言すること自体は、別にいい。音楽で表現してもいいし、インタビューで話してもいいし、SNSに書いてもいい。何も言わないのも自由だと思う。音楽は意見を伝える手段の一つではあるけれど、唯一の手段ではない。

そもそも、音楽で意見表明しろと言われても、法律の問題点や政策の修正案をコード進行で説明できるわけではない。歌詞にしたところで、万人に同じ意味で伝わるとは限らない。音楽そのものに政治性がにじむことはあっても、具体的な主張を正確に届ける道具としては、言葉のほうが向いている場合もある。

逆に、「ミュージシャンは政治的なことを言うな」「音楽に思想を持ち込むな」という圧も、結局は同じくらいダサい。恋愛の歌だけを歌っていた人が、ある日社会について話し始めることもあるだろうし、ずっと反戦や差別をテーマにしてきた人もいる。ファンがそれを聴いてがっかりする自由はあるが、発言するなと命令する権利まではない。

ただ、ミュージシャンという肩書きや名声を利用して発言するなら、音楽でやれよ、という気持ちが出てくるのも分からなくはない。表現を仕事にしている人なのだから、その表現で伝えればいいのに、という期待だろう。パンクやヒップホップのように、もともと社会風刺や政治性と結びついてきたジャンルなら、なおさらそう思う人はいる。

でもそれは「ミュージシャンなら音楽で意見表明しろ」ではなく、「あなたの音楽も聴いているから、そこで何を言うのか見せてほしい」くらいの話ではないか。期待を押しつけて、表現方法まで指定し始めると、ただの難癖になる。

トラック運転手ならトラックで、農家ならトラクターで、歯科助手ならバキュームで意見表明しろ、という話にはならない。実際にはデコトラやバンパーステッカー、アドトラック、農民のトラクターデモみたいなものもあるけれど、それはその人が選んだ表現であって、職業上の義務ではない。業務用の車に政治的な主張を大書するのが格好いいかどうかは、また別の問題だ。

ミュージシャンも、音楽を作る人である前に、日々いろいろな情報に触れて考えが変わる一人の人間だ。音楽だけで意見を言えというのは、表現の幅を狭めるだけでなく、その人を職業の中に閉じ込める言い方にも聞こえる。

誰が何を使って意見を表明してもいい。音楽で言っても、言葉で言っても、何も言わなくてもいい。こちらはそれを聴くか、支持するか、離れるかを選べばいいだけだ。