結婚を考えている恋人に、障害のあるきょうだいがいる。
付き合い始める前から、そのことは聞いていた。結婚前提のマッチングアプリだったので、恋人はかなり早い段階で話してくれた。たぶん、隠したまま仲が深くなってから言うより、先に伝えておいた方がいいと思ったのだろう。実際、そこには誠実さと覚悟があった。
ただ、聞いた瞬間の自分の反応は、あまり褒められたものではなかった。
障害者、と聞いて、まず頭に浮かんだのは、子どもの頃に見た人たちの姿だった。大きな声を出す。急に走り出す。こちらの都合などお構いなしに近づいてくる。学校行事で支援学級の子たちと一緒になることがあり、そのときに世話係のような役を押しつけられた記憶もある。正直、楽しくなかったし、怖かった。周りの大人は「優しくしてあげて」「仲良くしてあげて」と言うだけで、こちらが困っていることについてはあまり聞いてくれなかった。
だから、恋人からきょうだいの話をされたときも、頭の中では勝手に最悪の場面を想像した。結婚したら、その人と同じ家に住む可能性があるのか。頻繁に会うことになるのか。自分に世話をする役割が回ってくるのか。恋人の家族になるということは、きょうだいも自分の生活に入ってくるということなのか。
障害者と一緒にいるのは無理かもしれない、と一瞬思った。
その考えが浮かんだこと自体が嫌だった。でも、きれいなことを言っても仕方がない。自分はこれまで、障害のある人とほとんど関わったことがなかった。知らないものを怖がっていたのだと思う。
恋人は、きょうだいの状態について説明してくれた。できることと難しいこと、普段の生活、家族がしているサポート。もちろん一言で説明できるものではないし、日によって違うこともあるらしい。両親が元気な今は、恋人が手伝う程度で何とかなっている。しかし、親が年を取ったあと、その負担がどうなるのかは、恋人自身も考えていた。
そこまで話してくれたことに、少し驚いた。自分に逃げ道を残さないためというより、知らないまま進めるのは相手に失礼だと思っているようだった。
初めてきょうだいに会ったとき、挨拶をされた。会話もできた。こちらの話を聞いて、笑ったり、少し変わった言い回しをしたりはする。でも、少なくとも自分が想像していた「障害者」という一枚の絵とは全然違った。
そのあと何度か恋人の家に行った。宿泊費が無料になるので、近くで用事があるときなどに泊めてもらうこともあった。変な意味ではなく、断じてエロいことはしていない。家族と食事をしたり、テレビを見たり、近所を歩いたりした。
そういう時間を重ねるうちに、きょうだいのことを「障害者」としてではなく、ひとりの人として見るようになった。もちろん、苦手なところはある。距離感が近いときもあるし、話がうまく通じないこともある。機嫌が悪くなることもある。けれど、それは健常者と呼ばれている人たちにも普通にあることだった。
自分が嫌いだったのは、障害者ではなく、迷惑な人全般だったり、不潔な人だったり、こちらを傷つけることを平気でする人だったりしたのだと思う。障害があるから嫌いなのではなく、嫌いな特徴を持つ人を、障害者という大きなくくりに入れていた。
そのことに気づいたとき、少し恥ずかしかった。自分は障害者差別をしていないつもりだったが、実際には、会ったこともない人たちを属性だけで判断していた。個人を見ていなかった。
もちろん、「実際に会えばみんな大丈夫」と言いたいわけではない。障害にもいろいろあるし、家族として関わることで負担が生じる場合もある。自分がどこまでできるかは、まだわからない。きょうだいの両親がいなくなったあと、誰が何を担うのか。住む場所はどうするのか。金銭面や制度のこと、将来子どもを持つ可能性があるなら遺伝や育児についてどう考えるのか。結婚するなら、そこは恋人ときちんと話し合わなければならない。
愛があれば全部解決する、とは思っていない。恋人を愛しているから、その家族も無条件に愛せる、というほど単純でもない。ただ、恋人が愛している人を、自分も人間として尊重することはできると思う。少なくとも、会う前から「障害者だから無理」と切り捨てることはしないでいられる。
恋人は、自分が最初に戸惑っていたことを知らない。いや、たぶん薄々はわかっているかもしれない。自分は露悪的に書いているけれど、実際に本人の前で同じ言葉を使うつもりはないし、これからも使わない。きょうだいを見下しているわけではない恋人に、余計な傷を負わせたくない。
障害のある人と関わる機会が、すべての人に必要だとも思わない。無理に近づければいいわけではないし、怖い思いをした人に「理解しろ」と言うのも違う。ただ、自分の場合は、知らなかったことが偏見を育てていた。何度か会って、話して、一緒に過ごしたことで、ようやく自分の中の曖昧な恐怖がほどけていった。
結婚することになったら、苦労はあると思う。恋人の家族を説得するより先に、自分の家族にも話さなければならない。向こうの家族も、こちらが本当に覚悟しているのか不安だろう。自分だって、今後どんなことが起きるのか全部わかっているわけではない。
それでも、恋人と一緒にいたいと思っている。きょうだいのことを理由に、恋人まで諦めるのは違うと思った。結婚するかどうかは、これから何度も話し合って決める。決めたあとも、状況に合わせて考え続けるしかない。
自分の中にあった嫌な感情を、なかったことにはできない。でも、持っていた偏見に気づいて、それを少しずつ修正していくことはできる。超克なんて大げさな言葉を使うほど立派なことではない。会って、慣れて、知っていく。その繰り返しだ。
恋人と、その家族と、これから家族になるかもしれない人たちと、できるだけ誠実に過ごしたい。お幸せに、と言われるとまだ少し照れるけれど、そうなれたらいいと思っている。