講談社編集達がみいちゃんについて話してる動画エグかったよ 「人の不幸話..

たまたま流れてきた動画を見た。ヤンマガの編集者たちが、ある漫画について語っている動画らしい。全部を細かく見たわけではないけど、「人の不幸話はめちゃくちゃ楽しい」「誰かが可哀想な目に遭うところを見たい」「みいちゃんが落ちていく様を見たい」「ポップに罪悪感なく人の不幸が読める」といった趣旨の発言が並んでいて、正直かなりエグかった。

作品自体が露悪的なのは、読めば分かることなのだと思う。主人公が周囲に流されながら、どんどん危ういところへ落ちていく。その転落を見物する漫画として読めば、たしかにそういう面白さはある。ウシジマくんやカイジ、福本作品、昔のレディコミや実話系のドロドロ漫画にも、人の弱さや不幸を娯楽にする部分はある。

だから、悪趣味な作品が存在することそのものを禁止しろ、という話ではない。フィクションなんだから好きな人が読めばいいし、合わない人は読まなければいい。アニメ化を撤回しろとまでは思わない。表現の自由の問題として、作品を作る自由は守られていてほしい。

ただ、今回引っかかったのは、作品の内容よりも、それを売る側の態度だった。障害や貧困、夜の仕事といった現実に存在する困難を扱っているのに、「これは人の不幸を見て楽しむコンテンツです」と、ほとんど反省もなく笑いながら話しているように見えた。しかも普段は社会派だとか、問題提起だとか、現実を描いている作品だという売り方をしている。その二つを都合よく使い分けるのは、さすがに無理がある。

人の不幸を面白がる感情が、人間にあることは否定しない。自分だって事故や災害、転落していく人の話を怖いもの見たさで読んでしまうことはある。でも、その欲望を持っていることと、それを公共の場で無邪気に正当化することは別だと思う。悲劇を見て、自分や社会について考える作品と、ただ「自分より下の人間が落ちていくのが楽しい」という作品では、同じ不幸を扱っていても全然違う。

読者もその消費に加担している、という指摘も分かる。面白がって読んで、アニメ化も楽しみにして、炎上した途端に作者や編集だけへ石を投げるのは都合がいい。自分も完全に外側にいるつもりにはなれない。だからこそ、作り手が「これはそういう見世物です」と悪人の顔をしてくれた方が、まだ誠実だったのではないかと思う。

逆に、表現の自由を掲げて批判者を一括りに馬鹿にするのも違う。作品を潰せと言っている人の中にも、当事者や似た経験をした人がいるかもしれない。作中の人物が非実在だから何をしてもいい、という単純な話でもない。フィクションは現実と別物だけど、現実にある偏見や弱者への視線を利用している以上、現実に影響を与えないとは言い切れない。

特にアニメ化で広い層へ届くなら、年齢区分や宣伝の仕方、どんな作品として提示するのかは考えた方がいい。露悪的な作品を作るなとは言わないが、道徳や啓蒙の顔をして売るのはやめてほしい。見世物なら見世物として、見る側にも後ろめたさを残すくらいの売り方をしてほしい。

結局、動画の発言が編集者個人の本音なのか、読者の欲望を代弁した演出なのかは分からない。切り抜きや伝聞だけで断定するのも危ない。それでも、公式に近い場所であのノリを出したこと自体が、作品に対する見方を変えてしまった人は多いと思う。

作品が醜悪でも、存在していい。でも、それを作った側が醜悪さを引き受けずに、「社会的意義があります」「批判する人は表現の自由を分かっていません」と言い出した瞬間、かなり白々しくなる。悪趣味を楽しむなら、せめて自分たちが何を見せて、何を売っているのかくらいは自覚していてほしい。