「女は金がかかる!」みたいな話を見かけたので、少し考えたことを書く。

自分は三十代後半まで、ほぼすっぴんで技術職をしていた。化粧をしろと言われたこともないし、服や爪について圧力を感じたこともあまりない。モテとは縁のない人生だったが、仕事をするうえで困ったこともない。だから「女として生きるには毎月何万円も必要」と言われると、そうかなあと思ってしまう。

ただ、ここで話が混ざっている気もする。化粧品、ネイル、流行の服、高い美容院、ブランド品みたいな「よりよく見られるための支出」と、生理用品、薬、防犯、体に合う下着みたいな「本人が望むかどうかにかかわらず必要になる支出」は別だろう。

ブラジャーの話をすると、胸の大きさや体型によって事情が違う。安いブラトップで済む人もいる一方、固定しないと歩くだけで痛い人もいる。サイズが合わないものを使えば肩や背中を痛めることもある。これはおしゃれというより眼鏡に近い。視力の悪い人に「百円の眼鏡でいいじゃん」と言っているようなものだと思う。

生理も同じで、軽い人が「そんなに枚数いらないでしょ」と言っても、重い人には通じない。鎮痛薬や低用量ピル、診察代まで含めれば、毎月の出費は小さくない。体質によっては脱毛や肌の治療、髪質に合うシャンプーも生活の一部になる。そこを全部「自分が好きでやっている美容」とまとめるのは乱暴だ。

防犯もそう。帰宅時間や住む階、服装、夜道の移動手段に気を遣う。何かあったときには「そんな格好だから」「気をつけなかったから」と言われるのに、警戒のためにお金を使えば「勝手に金をかけている」と言われる。これは個人の趣味というより、周囲の危険や評価に対応するための費用だと思う。

一方で、男には金がかからないという話でもない。スーツ、靴、時計、車、食費、ひげ剃り、美容院、体を鍛える費用。最近は男性にも肌や髪、体型への要求が強くなっている。高い服や道具を買う人もいるし、仕事や交際のために見栄を張る必要がある人もいる。平均の統計だけで「男の方が楽」と決めることはできない。

結局、男女のどちらが金のかかる性別か、という比較はあまり意味がないのだろう。体格、職業、住む場所、収入、趣味、健康状態で大きく変わる。大きな主語で「女は浪費家」「男は身だしなみに無頓着」と言い合っても、個人差を見えなくするだけだ。

それでも、女性にだけ「普通の格好」「清潔感」「人に会える顔」を細かく要求する空気がある、という感覚は理解できる。すね毛、服の着回し、ぼさぼさの髪、ノーメイク。男性なら許されるものが女性だと急に「だらしない」「人権がない」と判定されることがある。しかも圧力をかけるのは男性だけではなく、同性同士の冷笑だったりもする。

だから必要なのは、どちらが多く払っているかを競うことではなく、払わない選択をしても社会的に即アウトにならないことだと思う。おしゃれをしたい人はすればいい。高いブラを買いたい人も、千円の服で済ませたい人も好きにすればいい。ただし、それを全員の義務にしない。必需品と趣味を分け、個人差を認める。

「女は金がかかる」という言葉を、女性の自己責任や浪費の話にして終わらせるのではなく、何が必要で、何が選択で、誰がその基準を作っているのかまで考えたい。自分もすっぴんで平気だったからといって、他人の事情まで否定しないようにしたいし、逆に誰かの必需品を趣味扱いするのもやめたい。人間はそれぞれ違うところにお金がかかる。その当たり前を認めるだけで、だいぶ話は穏やかになるはずだ。