ブコメへ返信したいと思って書きました。100文字ではどうしても説明しきれなかったので。
私の理屈は、「公共の電波を使用するテレビアニメは、個人作品であるマンガよりも公共性を求められるべき」というものです。
別に、みい山をアニメ化するなと言いたいわけではありません。マンガとして発表され、読みたい人が自分で探して読むことについては、基本的に自由でいいと思っています。私自身、エログロ表現が嫌いなわけでもないし、そういう作品を読む人をどうこう言うつもりもありません。
ただ、テレビで放送するとなると話が変わると思っています。マンガやネット配信は、基本的には読み手・見手が自分から取りに行くpull型です。一方で、テレビ放送は番組表に載り、家庭に向けて一律に流れてくるpush型のメディアです。チャンネルを変えればいい、深夜ならゾーニングになっている、という意見も分かりますが、それだけで十分なのかは疑問です。
もちろん、深夜放送や年齢区分、注意書き、表現の調整といった対応がなされるなら、私が問題にしている部分の多くは解消されます。地上波の通常時間帯に、何の配慮もなく流すのはどうなのか、という話です。配信限定や、年齢制限のある有料サービスなら「見たい人が見る」で済むので、どうぞご自由に、というのが私の考えです。
この話をするとすぐ「表現規制派」「アニメ化反対」と分類されるのですが、私は表現の自由に反対しているつもりはありません。作る自由、公開する自由、見る自由があるのは当然です。同時に、公共の場で発表するなら批判を受ける自由もあるはずです。「テレビで放送すべきではない」と言うことまで表現規制扱いして口を塞ごうとするのは、むしろおかしいのではないでしょうか。
規制という言葉をどこまで広げるかにもよりますが、ゾーニングが表現方法への制限であることは否定していません。だからこそ、何でもかんでも禁止しろというのではなく、媒体や時間帯を分けるという話をしています。成人指定の作品を子供向け番組の時間に流さない、という程度の話まで「表現の自由の敵」と呼ぶのは、さすがに原理主義的すぎると思います。
「公共性とは何か」「コナンの殺人や不倫ドラマはどうなのか」「ウシジマくんはよくてみい山はなぜダメなのか」という反論もありました。これはその通りで、公共性という言葉だけで作品を裁けるとは思っていません。何をもって許容できないとするのか、明確な線引きは必要です。私の主観だけで全部決めろという話ではありません。
ただ、個別の作品を比較して「他にもあるからいいだろう」とするのも違うと思います。テレビ局には放送基準や考査があり、放送後には苦情やBPOの審査もあり得る。ならば、アニメ化発表の段階で、どの媒体で、どの時間帯に、どの程度の調整をして放送するのかを考えるのは当然ではないでしょうか。実際に放送されて炎上してから止めるより、最初に適切な形を選ぶ方が、制作側にとっても視聴者にとってもいいはずです。
そもそも今回、本当に地上波で放送されるのか、という指摘もありました。そこは私も確定情報として書いたわけではありません。アニメ化とテレビアニメ化の表記が揺れているようなので、最終的な形は分かりません。だからこそ、最初のおめでたいアニメ化発表だけを見て、何の配慮もなくテレビに流すつもりなのではないか、と感じたことに反応しました。実際に配信のみ、あるいは深夜枠やBS・CSになるなら、私の懸念はかなり小さくなります。
若者はテレビを見ない、今はネット配信の方が拡散する、という意見も分かります。私もテレビの影響力を過大評価しているのかもしれません。ただ、若者がテレビを見ないならなおさら、媒体ごとに適した出し方を考えればいいだけではないでしょうか。配信なら無条件に安全だとも思っていませんし、無料配信が実質的に誰でも見られる問題もあります。ペイウォールや年齢区分が完全なゾーニングにならないことも承知しています。
「公共の電波」という言い方が気に入らない人もいるでしょう。私が言いたいのは、テレビは限られた公共資源を使っているから立派な作品だけ流せ、ということではありません。バラエティやドラマも含めて、放送という媒体には漫画や映画館上映とは異なる基準がある、ということです。テレビ局が自分たちで公共性を意識してきたなら、そこに相応の責任が伴うのは自然だと思います。
ブックマーカー図鑑を使ったのは、単に今回の反応がいろいろあって面白かったからです。時間が経てば内容が変わるものを根拠にするな、という指摘はその通りなので、あれを世論の代表だと思っているわけではありません。私の考えを説明するために、反応の傾向を眺めたという程度です。
結局、私が言いたいのは「アニメ化するな」ではなく、「アニメ化するなら、作品の性質に合った媒体と見せ方を選んでほしい」です。無料で見られる地上波での放送には反対。有料で見る配信で、年齢や内容に応じた表示があるなら、見たい人が見る分にはご自由にどうぞ。
この程度の主張まで表現規制派と呼ばれるなら、もう言葉の定義が違うとしか言えません。私は表現を消したいのではなく、表現の置き場所を考えてほしいだけです。