ちいかわって別に深くはないのでは、と思っている。

いや、嫌いという話ではない。絵はかわいいし、LINEスタンプも使いやすいし、キャラクターが人間っぽくて好きだ。栗まんじゅうが酒を飲んでいるのを見ると、なんとなく安心する。かわいいキャラものとして非常によくできているし、かわいいだけではなく、急に不穏になったり、怪物が出てきたり、生活の足元が崩れたりする落差が面白い。

ただ、それをまとめて「深い」と呼ぶことには少し違和感がある。

たぶん、ちいかわの魅力は、深い物語があるというより、説明が少ないことによって深読みできる余地があることなんだと思う。描かれていない部分が多いので、読者はそこに今まで見てきた作品や、自分の人生観や、好きな設定を持ち込める。世界には何か法則がありそうだし、キャラクターたちの生活には不安定さがある。食べ物や労働や資格、怪物化、死の気配も出てくる。だから、断片をつないでいくといくらでもそれらしい考察ができる。

でも、それは作品そのものが何か壮大な命題を提示して、作者なりの答えを示しているということとは別ではないか。

「実は残酷な世界だった」「かわいい見た目の裏に大人向けのテーマがある」というギャップは、たしかに強い。グリム童話の本当は怖い話とか、ゆるい絵柄でブラックな内容をやる作品の系譜に近いと思う。ただ、そこに残酷さを発見したからといって、自動的に深い作品になるわけではない。かわいいものと不穏なものを隣り合わせにする、その見せ方が上手いという話だと思う。

むしろ、ちいかわはかなり素直な作りをしている。登場人物が長々と内面を語ることはないし、派手な演出で「ここは感動するところです」と押してくることもない。起きたことと、キャラクターの反応だけが描かれて、あとは読者に任される。その禁欲的な語り方が、ハードボイルドといえばハードボイルドなのかもしれない。行動と言動で見せる、という意味なら確かにそうだ。

ただし、受け手に任せている部分が多いからといって、作者が深い哲学をこめているとは限らない。余白がある作品と、内容が深い作品は同じではないと思う。

「自分が好むテーマを作中で扱っていないから浅い」と言っている人もいるようで、それはそれでおかしい。自分のどんぶりに入っていない具を見て、料理全体を浅いと言っているようなものだ。深さの基準を自分の趣味に置くと、価値観を共有しない相手には何でも浅く見える。

ちいかわの価値は、深いことではなく、かわいいキャラクターが暮らす世界に、労働や不安、失敗、罪と罰、死の隣り合わせといったものを、説教臭くせず混ぜ込めるところにある。未就学児でも絵本のように楽しめる一方で、大人が見れば別のものを感じ取れる。そのバランス感覚と、情報を小出しにする上手さはかなりすごい。

だから「ちいかわは浅い」と批判するのも、少し的外れだと思う。深みを楽しむ通好みの作品として売れているわけではなく、かわいいキャラものなのに、ちょっと毒があり、考えようと思えば考えられる。そのくらいの距離感がちょうどいい。人生を侵食するほどの思想がないからこそ、安心して眺められるし、勝手に考察して、勝手に飽きることもできる。

深いか浅いかは結局、何を深さと呼ぶかによる。世界の作り込みや、複雑さを複雑なまま置いておく技術を深さと呼ぶなら、十分に深い。でも、普遍的な哲学や作者なりの明確な結論を期待するなら、そこまでではない。

そしてたぶん、ちいかわを好きな人の多くは、そんな分類を気にせず、かわいいものを見て、たまに怖い目に遭って、また日常に戻っている。そのくらいでいいんじゃないかと思う。