最近、仕事でAIを使うようになった。

といっても、いきなり会社が大々的に導入したわけではない。会社から支給された立派なツールがあるわけでもなく、個人で試しながら、文章の下書き、議事録の整理、定型作業の補助、データの確認などに使っていた。

最初は単純に楽しかった。今まで8時間かかっていた作業が、試行錯誤の末に4時間くらいで終わるようになった。AIの出力をそのまま使えるわけではないので、確認や修正は必要だけど、それでもかなりの短縮だった。

空いた時間で別のことを考えられる。今まで手をつけられなかった改善案を試せる。個人的に作っていた小さなツールも進められる。仕事が終わったあとに疲れ切っていることも減った。

これはすごい。自分の仕事を半分にできるなら、チームにも共有した方がいい。そう思った。

そこで、使い方や手順をまとめて、社内向けに説明した。簡単な資料を作り、実際にどの作業がどれくらい短縮できるかも書いた。周囲の人が同じように使えるように、テンプレートやプロンプトも用意した。

反応は悪くなかった。少なくとも「そんなことをして何になるの」と言われることはなかった。上司も興味を持ってくれて、部署内で試してみようという話になった。

ここまではよかった。

まず、自分の仕事が速くなったことが知られた。次に、その短縮後の時間が標準になった。

これまでは一件につき8時間かかる仕事だったのに、しばらくすると「この仕事は4時間で終わるもの」として扱われるようになった。では残りの4時間で何をするのかというと、当然のように別の仕事が入ってきた。

「AIで効率化できたなら、これもお願いできるよね」 「前より余裕があると思うので、もう一件お願い」 「せっかく仕組みを作ったんだから、他の人にも展開して」

そんな感じで、作業そのものだけではなく、周囲への説明、教育、質問対応、トラブル対応、ツールのメンテナンスまで自分の担当になった。

最初は、それも含めて仕事なのだと思っていた。組織全体が効率化されるなら、自分が少し面倒を見るくらいは仕方ない。会社の役に立つならいい。そう考えていた。

でも、仕事は減らなかった。むしろ増えた。

8時間かかっていた仕事を4時間で終わらせ、さらに新しい仕事を4時間分渡される。結果として、一日の仕事量は倍になった。けれど、給料も賞与も権限も増えなかった。

評価の面でも、効率化したことがそのまま評価されるわけではなかった。作業を早く終わらせたことより、会議で明るく話す人や、人当たりのいい人の方が目立つ。改善の効果を数字にするのも難しい。売上が増えたのか、経費が減ったのか、その成果が自分の仕事によるものだと説明するのも簡単ではない。

その一方で、周囲からは「この人に頼めば早い」と思われるようになった。頼りにされるのは悪い気分ではない。ただ、頼られるほど仕事が集まり、仕事が集まるほど自分の時間がなくなる。

自分で自分の首を絞めているような感覚になった。

そこで、社内に効率化の方法を全部共有するのをやめた。いわゆるシャドーAIというものなのかもしれない。会社に隠れて悪いことをしているというより、還元される見込みのない改善を、これ以上無償で会社に渡す気力がなくなったという方が近い。

自分だけが使って、自分の作業を減らす。浮いた時間は休むか、個人で作っているものに使う。会社には従来どおりの工数で報告する。そうした方が自分にとっては合理的だった。

もちろん、それが正しいとは思っていない。会社から給料をもらっている以上、会社のために働く必要はある。ただ、効率化した利益が社員に還元されない組織で、社員が自発的に改善方法を共有し続けることを期待するのは、少し都合がよすぎるのではないかと思う。

会社に差し出していた好奇心を、自分の人生に戻す。

AIで最初に効率化すべきだったのは、作業工程ではなく、僕の無償の使命感だったのかもしれない。

振り返ると、僕は会社の課題を自分の課題として引き受けすぎていた。会社全体の仕組みや評価制度が決めるべきことまで、自分の工夫でなんとかしようとしていた。

本当は、効率化する前に上司と話すべきだった。「作業を短縮できた時間で、別の改善をしたい」「部署全体の目標として扱ってほしい」「成果が出た場合の評価をどうするのか」と、先に合意を取るべきだった。

ただ、そういう交渉をせずに、まず自分で手を動かしてしまった。役に立てば評価されると思っていた。頑張って成果を出せば、自然に次の機会が来ると思っていた。

ずいぶん子供じみた幻想だった。

AIに限らず、ExcelマクロでもRPAでも、パソコン導入でも、効率化すると仕事が増えるという話は昔からある。8時間で一件やっていた人が、8時間で二件やるようになるだけなら、それは会社にとって生産量が増えたということでしかない。そこで売上や利益が増え、その一部が働いた人に戻る仕組みがなければ、労働者にとっては仕事の密度が上がっただけだ。

もちろん、組織として効率化を進められる会社の方が、そうでない会社より強いのだと思う。AIを使わない会社がずっと残れるとも思わない。だから、効率化そのものが間違っているわけではない。

問題は、誰が得をするのかを決めないまま、効率化だけを進めることだ。

会社は「生産性を上げよう」と言う。でも、生産性が上がった結果、労働時間が減るのか、給料が増えるのか、より価値の高い仕事に移れるのかについては、あまり話さない。そこを曖昧にしたまま、空いた時間に新しい仕事を詰め込む。

それでは、社員が学んだことを共有しなくなるのも当然だと思う。

今後は、会社のために何かをするにしても、最初に条件を確認することにする。空いた時間で何をするのか。成果をどう測るのか。誰が責任を持つのか。自分にどんな権限や報酬があるのか。

それが決められないなら、無理に会社を変えようとはしない。

効率化した分は、定時で帰る。自分の勉強をする。副業を進める。転職の準備をする。少なくとも、会社が勝手に新しい仕事を詰め込めるように、こちらから空き時間を報告することはやめる。

仕事は生きるための手段であって、その逆ではない。

そう思えるようになっただけでも、今回のことには意味があったのかもしれない。