職場でお中元やお土産を配る係をしている。正確には、取引先や他部署から届いた箱を開けて、休憩スペースに並べたり、人数分に分けたりするだけの仕事だ。別に私が買ってきたわけでも、私のポケットマネーで配っているわけでもない。それでも、毎回なんとなく嫌な気持ちになる。
「感謝の気持ちを持てる人だけ受け取ってください」と書いた紙を貼りたくなる。
もちろん、そんなことをしたら感じが悪いのは分かっている。だから実際には、何も言わずに箱を置く。欲しい人はどうぞ、と言う。すると、我先にと手を伸ばす人がいる。味や値段についてあれこれ品評する人もいる。高そう、珍しそう、これはどこの店か、と聞く人もいる。一方で、普段は客への挨拶もろくにせず、取引先に会っても目も合わせないような人が、取引先から届いた菓子だけは当然のように持っていく。
そこに、なんとも言えない卑しさを感じてしまう。
私が気にしているのは、お礼の言葉を五行書けとか、全員が深々と頭を下げろとか、そういう話ではない。送ってきた人がいる。その人たちとの関係があって、会社に品物が届いている。その事実を、ほんの少しでも意識してほしいだけだ。受け取ったら「ありがとうございます」と言う。箱を開けた人にではなく、送り主に対してでもいい。そういう最低限の敬意があってもいいと思う。
ただ、書いていて自分でも分からなくなってきた。感謝を求める相手を間違えているのではないか。私は贈り主ではないし、配る人を選ぶ権利もない。会社に届いたものなら、会社のルールで分配されるだけだ。欲しくない人にとっては、ただのカロリーであり、断りにくい景品であり、仕事の合間に置かれた菓子でしかない。
実際、共有スペースに放置されたものを、誰もいなくなってから全部持って帰って飢えをしのいでいる人もいる。そういう人に「感謝を示せ」と言うのは、さすがに違う気がする。こちらだって、送られてきたものを配り終えた時点で、それについてはもう考えたくない日もある。お礼状や挨拶が仕事上必要なら、担当者がすればいい。関係のない社員に、送り主への謝意まで要求するのはおかしい。
それに、感謝と礼儀は別物だ。嫌いな菓子を受け取って、心からありがたいと思えなくても、黙って持っていくことはできる。逆に、気持ちはなくても「どうも」と言うこともできる。その程度の形式を求めているだけなら、張り紙で人を選別する必要はない。配りたくない相手がいるなら、配らなければいい。自分が嫌いな人に渡したくない気持ちを、「感謝できない人が悪い」という言葉で包んでいるだけなのかもしれない。
お土産も同じだった。買ってきたものを、気に入らないと理由をつけて手に取らず、気に入ったものだけ販売先をしつこく聞く人がいた。値段や希少性で張り合う人もいた。以前、ちんすこうに「ばらまきで適当に買うもの」とケチをつけた人が、後から値段を調べて「高いものだったんだね、ありがとう」と言ってきた。それ以来、その人には渡していない。
それは感謝のない人への制裁というより、私がもう疲れたからだ。渡すこと自体は好きでも、渡した後まで相手の反応を採点するようになったら、贈り物ではなくなる。
本当は、各自が好きに取ればいい。欲しい人が食べ、いらない人は取らない。それで十分だ。感謝は強要した瞬間に、感謝ではなくなる。私も次からは、ただ配る人に戻ろうと思う。誰が何を思うかまで、箱を開けた私が背負う必要はない。