ふと、これはもう「体験として知っているのは自分たちが最後だろうな」と思うものを考え始めたら、止まらなくなった。

昔の家の風呂は、薪をくべて沸かす五右衛門風呂だった。底の板を沈めて、その上に乗る。別の家ではバランス釜で、火をつけてからお風呂をかき回す。夏休みにお寺のお堂へ集まり、映画を見せてもらえると思ったら道徳番組だったこともある。学校には焼却炉があり、冬は教室のストーブの上で弁当を温めた。先生が職員室で煙草を吸い、体育ではうさぎ跳び、廊下に立たされる時は水の入ったバケツを持たされた。

駅には伝言板があり、改札には駅員さんがいて、切符にペンチのような鋏で切り込みを入れていた。待ち合わせに遅れた友人へ連絡する方法はなく、家の電話にかけて、出発した時刻を家族に聞くしかなかった。黒電話のダイヤルを回す感触や、受話器を置いた時の音まで覚えている。電話ボックスにはテレホンカードの残額表示があり、夜はテレホーダイでダイヤルアップ接続をした。モデムの、ぴー、がががが、という音を聞きながら、画像が上から少しずつ表示されるのを待った。

ワープロ専用機の小さな画面、フロッピー、MO、カセットテープ、ビデオデッキのトラッキング、ゲーム機をRFスイッチでテレビにつなぐ作業。ファミコンのカセットに息を吹きかける癖。今なら不便でしかないものが、当時は「できるようになった」こと自体が嬉しかった。自分で調べ、紙にメモし、電話をかけ、試行錯誤してコードを書く。AIも検索もない時間を知っていることは、もう少ししたら説明しづらくなるのだろう。

路肩の野良犬、原っぱの土管、紙芝居屋、駄菓子屋の脇のテーブルゲーム。河原や空き地に落ちていたエロ本。蚊帳の中で眠り、天井から下がる蠅取り紙を眺め、夕立で停電した家の中でろうそくを灯す。海水浴帰りに駅で買う冷凍みかん。新幹線の冷水機から、平たい紙コップに水を注いで飲む。

なくなったのは物だけではない。駅で会えない絶望、好きな人の家に電話する緊張、近所の大人に叱られる怖さ、戦争を経験した人の話を直接聞く時間。親戚の家の間取りや匂いを覚えているのも、たぶん自分が最後だ。

便利になった。安全にも、清潔にもなった。それでも、記憶の中のものが消えていくのは少し寂しい。誰かの思い出と自分の思い出をつなげると、世代や住んでいた場所まで見えてしまいそうで、気軽に話せない気持ちもある。それでも今日は、忘れる前に書いておく。