漢字の読み方って納得できないものが多すぎないか。

たとえば餃子。どうしてこれで「ぎょうざ」になるのか。中国語の発音が元なんだろうけど、日本語の音読みでも訓読みでもない。焼売も初見では読めなかった。漢字だけ見たら「やきうり」としか思えない。昔、551で「肉まんとやきうりください」と言って、店員のおばちゃんに笑われたことがある。

海豚でイルカ、海月でクラゲ、海星でヒトデ。豚なのか魚なのかもよくわからない。海豚は河豚(ふぐ)と紛らわしいし、海月には水母という別名まである。百舌鳥に至っては、漢字三文字で読みが「もず」。どこにルビを振ればいいんだ。

鳥取もおかしい。鳥を「とり」と読むならまだわかるが、取はどこへ行ったのか。秩父は秩のほうが「ちち」で、父は読まない。松明は松が「まつ」なのかと思ったら、読んでいるのは明のほうだった。大分、出納、心太、朔日あたりも、知らなければまず読めない。

地名や名字になるとさらにひどい。喜連瓜破、八街、飯山満、我孫子、小鳥遊、安心院。駅や地元の人は普通に読んでいるけど、初見で当てられるわけがない。聖路加国際病院も、長いこと「せいろか」だと思っていたら「せいるか」だった。

五右衛門もよく考えると変だ。右衛門は本来「うえもん」で、ゴウウェモンのような発音から、うやらウェやらが落ちて今の読みになったらしい。伊達も昔は「いだて」だったとか。音は変化するのに、文字だけ昔の形で残っているから、知らない人間には謎解きになる。

昨日、今日、明日、一昨日、明後日を、われわれは何の疑問もなく読んでいる。真面目、土産、田舎、新た、新しい。このへんも冷静に見るとかなりおかしい。日本語は、もともとあった言葉に後から漢字を当てたもの、外から入ってきた音、時代ごとの発音変化が全部混ざっている。表音文字ではないのだから、文字と音が一致しないのは当然なのかもしれない。

そう考えると、キラキラネームだけを笑うのも違う気がしてくる。四月一日を「わたぬき」、八月一日を「ほづみ」、一を「にのまえ」と読むのも、昔からあるトンチの効いた名付けだ。漫画のルビなら「強敵」と書いて「とも」と読ませてもいい。

結局、納得できるかどうかより、そういう読みが積み重なって残ってきたことを面白がるしかない。日本語、魔改造の塊すぎる。