マッチングアプリで知り合った彼女と付き合って2ヶ月くらいになる。

先日、映画『ちいかわ』を観に行った。僕は原作を読んでいるし、映画化されると聞いた時点でかなり楽しみにしていた。せっかく観るならと思って、鑑賞前にライムスター宇多丸の映画評も聴いておいた。作品の背景や、ちいかわたちが置かれている状況についての見方を知っておけば、より深く楽しめると思ったからだ。

いわば万全の体制で映画館に臨んだ。

映画自体は面白かった。かわいい絵柄のまま、かなり怖いことや重いことをやるし、セイレーンの存在もただの敵役ではない。ちいかわが最後にどうするのか、あの島で起きたことをどう受け止めるのか。観終わってから考えたいことはいろいろあった。

映画館を出たあと、近くの喫茶店に入った。そこで彼女に「どうだった?」と聞かれたので、僕なりの感想を話した。

今の世の中は、何でもかんでも大衆が断罪したがるけれど、ちいかわという作品はそれを拒絶しているんじゃないか、とか。単純な勧善懲悪ではなくて、誰かを罰して終わりにするのではなく、理不尽さを抱えたまま生きていく話なんじゃないか、とか。最後の演出も、現実に戻ったというより、観客に都合のいい救済を与えずに放り出したように感じた、とか。

宇多丸の映画評で聞いた話も参考にしつつ、そこに自分の考えを足して、かなり熱心に話していたと思う。

彼女はしばらく黙っていた。

それから、「なんで〇〇君って普通に映画を観られないの?」と言った。

僕は意味が分からなかった。「普通に観る」って何なのか。映画を観て、何かを感じて、それを言葉にするのは普通ではないのか。彼女が言うには、ちいかわなんだから「キャラがかわいかったね」とか「セイレーン怖かったね」とか、そのくらいでいいらしい。

「そんなふうに思ってるの、〇〇君だけだと思うよ」

さらに彼女はそう言った。

僕は、彼女が映画の表面しか見ていないことに驚いた。あれだけいろいろな要素があったのに、かわいいで終わるのか。キャラクターがかわいいこと自体は否定していないけれど、それだけならわざわざ映画館に行って2000円払う意味が薄いように思えた。

「いや、あの映画を観てキャラがかわいいとかセイレーンが怖いとか、その程度の感想しか抱けないなら、2000円をドブに捨てたようなものじゃない?」

という主旨のことを、彼女に直接言った。

今思うと、かなり嫌な言い方だったと思う。でもその時は本気だった。映画を一緒に観たなら、観終わったあとに感想を交換するものだと思っていたし、相手の考えを聞いて、自分の考えも深めるのが映画デートの醍醐味だと思っていた。

ところが彼女は、「そういうのを感想とは言わないでしょ。評論とか分析じゃん」と言った。

「感想じゃないなら何なの?」と聞くと、「普通に観た感想」と返された。

そこで、事前に聴いた宇多丸の映画評の話もした。こういう見方がある、こういう解釈ができる、と説明した。すると彼女はさらに機嫌を悪くした。

「映画を観る前に、他人の感想なんか聴くのも普通じゃないよ」

「予習してから観た方が楽しめる場合もあるでしょ」

「それって自分の感想なの?」

そう言われて、かなり腹が立った。僕は僕なりに考えて話しているのに、まるで誰かの受け売りを得意げに語っているだけみたいに扱われたからだ。

結局、店を出てからも気まずいままだった。彼女は「映画の見方が違うだけじゃん」と言っていたが、僕にはそれだけの問題には思えない。何かを観た時に、そこから何も考えず「かわいい」で終わる人と、作品の構造やテーマについて話したい人では、知的な関心の持ち方が違いすぎる。

ただ、彼女からすれば、映画を観に来た目的は映画の分析ではなく、僕とデートすることだったのかもしれない。そこを僕は間違えていたのだろうか。

映画の内容について意見を交換したかっただけなのに、彼女を見下したような形になってしまった。とはいえ、感想を言っただけで「普通に観られない」と言われるのも納得できない。

宇多丸のせいでこうなった、というタイトルにしたけれど、実際には宇多丸は何も悪くない。むしろ、余計な予習をして、彼女にも同じ熱量を求めた僕の問題なのだと思う。

この先、彼女と別れることになるのかもしれない。映画の感想ひとつで、と思う人もいるだろうけど、こういう温度差は他のことでも出てくる気がする。

僕は、映画を観たあとに「うさぎかわいかったね」で終わる関係を、ずっと続けられるのだろうか。