兄が会社を畳んでから、ずっと実家にいる。

「会社」といっても、社員が何十人もいるようなものではない。兄と、昔からの知り合いが二人。兄はIT系の大学を出て、卒業後は何年か会社勤めをして、それから独立した。家では詳しい話をしなかったが、業務システムだとか、受託開発だとか、そういう仕事をしていたらしい。

最初のうちは、兄は本当に忙しそうだった。夜中まで電話をして、食事中もノートパソコンを開いていた。父が「何を作っているんだ」と聞くと、「世の中を少し便利にするもの」と答えていた。今思えば、あのころの兄は、会社が大きくなる未来をかなり具体的に信じていたのだと思う。

けれど、ある時期から電話が減った。打ち合わせに出かけることもなくなった。事務所を引き払った日の夜、兄は居間で「終わった」とだけ言った。借金が残ったわけではないらしい。ただ、売上がなくなり、続ける理由もなくなった。それだけだと兄は言った。

それから数年、兄は実家にいる。朝は遅く、昼間は自分の部屋にこもっている。たまに古いパソコンを分解したり、よく分からないアプリを作ったりしている。完成したところを見たことはない。本人も、誰かに使ってもらうつもりがあるのか分からない。

父は最初、「そのうちまた働く」と言っていた。母は今でも食事を用意している。二人とも兄を責めない。責めないというより、どう声をかけていいのか分からないのだと思う。

兄が落ちぶれた、と書けば簡単だ。でも、会社を作って、失敗して、家に戻ってきた人を、外から一言で決めつけるのも違う気がする。本人は本人で、まだ何かを諦めていないようにも見えるし、諦めたことを認められないだけにも見える。

ただ、家族としては心配だ。年齢のこともある。いつまでも昔の計画の続きを待っているわけにはいかない。働くにしても、休むにしても、まず現在の生活をどうするか話してほしい。

兄の部屋のドアの前を通ると、ときどきキーボードを叩く音がする。何を作っているのかは聞いていない。聞いたら、また昔の話を延々とされそうで怖いからだ。

夏の夕暮れ、庭から蝉の声がしていた。兄は窓際で、消えた会社の名前が入った古い名刺を眺めていた。何かを聞こうと思ったが、結局、何も言えなかった。夏の夕暮れは何も答えてくれない。

ちなみに、俺も実家に住んでいる。兄のことを心配している場合ではないのかもしれない。俺は会社員で、家に金を入れているから問題ない、と自分では思っている。でも、家を出る理由を先延ばしにしている点では、兄とたいして変わらない気もする。