たぶん、あと20年ぐらいしたらアッツ島玉砕とか731部隊とか関東大震災の朝鮮人虐殺とか水俣病とか全部「なかったこと」になる。
もちろん、資料が消滅して本当に誰も知らなくなる、という意味ではない。研究者や当事者のところには記録が残るだろうし、「そんな事件は存在しなかった」と言う人が数人いるだけで、事実そのものが消えるわけでもない。
でも、学校で詳しく扱われなくなって、語れる人がいなくなって、新聞のアーカイブも検索できなくなって、ネットには出典不明の短い動画やまとめだけが流れるようになったら、一般の人にとっては「名前だけ聞いたことがある出来事」になる。そこで誰かが「実は捏造だった」「被害は大幅に盛られていた」「別の人たちが悪者にされた」と言い出せば、真偽を調べるより、そちらを信じる人のほうが多くなるかもしれない。
歴史上の出来事は、勝手に残るわけじゃない。証言を記録した人、資料を保存した人、展示を続けた人、何度も教えた人がいたから残っている。つらい記憶ほど、みんな考えたくないし、忘れたい。だから残そうとする人がいなくなれば、記憶は簡単に薄くなる。
しかも、忘れられるのは事件の存在だけじゃなくて、因果関係や加害と被害の関係だと思う。「何か大変なことがあったらしい」というところまで残っても、誰が何をして、なぜ起きて、どう責任を取らなかったのかが抜け落ちる。最後には、働きやすくてきれいな軍艦島や、観光地としての水俣みたいな、都合のいい物語だけが残る。
今でも、731部隊や関東大震災の虐殺を否定する言説は普通に流れている。南京事件だって、昔は事件そのものを否定する主張がもっと大きな顔をしていた。これから生成AIやSNSで、根拠のない「新説」が大量に作られたら、何が事実か分からない人にとっては、嘘のほうが分かりやすくて魅力的なのかもしれない。
だから、資料を残すことと、教育することと、現物を見られる場所を維持することが必要なんだと思う。原爆資料館のような施設が各地にあって、一次資料や証言に触れられるようになっていれば、少なくとも「そんなものはなかった」と簡単には言えない。
20年後に本当にそうなっているかは分からないけど、忘れ去られる方向に力が働いているのは確かだと思う。記憶は自然に残るものじゃなくて、残そうとする人がいて初めて残るものだから。