「この支配からの卒業」って、昔からちょっと不思議な歌詞だなと思っていた。

支配されているなら、相手を倒すとか、窓ガラスを割るとか、そういう方向に行きそうなのに、卒業して出ていくんだよね。しかも卒業って、反抗の完成というより、学校に守られていた期間が終わってしまうことでもある。自由になった、やったー、だけではなくて、これからどうすんの、という不安が含まれている。

で、今日ふと思ったんだけど、嫌なら退学すればいいのでは。卒業まで待たなくてもいい。支配が嫌で、制度も嫌で、そこにいること自体がしんどいなら、退学届を出してしまえばいいじゃん、と。

「この支配からの退学」。でも語感があまりにも現実的で、どうしてもかっこよくならない。「中退」だとさらに履歴書っぽい。「除籍」になると人生のイベントというより事務処理だ。だから卒業なんだろうな。きれいに区切りがつくし、歌になる。

そういえば、尾崎豊の歌はずっと反抗期の代表みたいに扱われているけど、歌っている本人がいつまでも若者のままではいられないのも、かなり皮肉だと思う。大人になって、家庭を持って、生活が変わっても、あの頃の歌を歌うことを期待される。今度はそのイメージから卒業できない、という別の支配が始まる。

親が有名な人の子どもが、その親の名前から逃げられない、という話にも似ている。何を歌っても「誰々の息子」として聞かれる。本人の苦悩を歌えば歌ったで、直球すぎると言われる。歌い手の歯が折れているのか、整っているのかで、こちらがかける言葉まで変わってしまう。結局、本人より周囲が勝手に物語を作っている。

YUIが、窓ガラスを割る暇もなくすぐ辞めた、みたいなことを言っていたのも印象に残っている。ロックというのは、必ずしも大暴れすることではなく、そこに居続けるよう求められている場所から、さっさと出ていくことなのかもしれない。

ただ、退学したらしたで、今度は「逃げた」と言われる。消えた、まぬけだ、などと言われる。残って壊れても文句を言われ、出ていっても文句を言われる。だったら自分の都合で出たほうがいい。

この支配からの卒業。いや、満期退学。あるいは、増田からの削除。なんか今、フット思ったんだよね。人間は考える足だし、フットボールアワーでもあるし、盗んだバイクは出す。