別れた元カレが、私に振られそうになった理由を映画と宇多丸のせいにして、被害者みたいな顔で日記を書いていた。いや、振られそうになったんじゃなくて、私が別れようと言ったんです。そこは主語を正確にしてほしい。

付き合って二か月くらいの頃、ちいかわの映画を見に行くことになった。私が「最近ちいかわを見始めたばかりだから、映画の前に少し予習したい」と言ったら、彼は「予習って何? 映画は初見で食らうものだろ」と言った。

食らう、という言い方をする人だった。

私は別に、作品を完璧に理解してからでないと映画館に入れないタイプではない。登場人物や世界観をまったく知らないまま見て、置いていかれるのが嫌だっただけだ。せっかく一緒に行くなら、最低限、これは誰で、どういう関係なのかくらい知っておきたかった。

彼はそれを「コンテンツを自分で味わう能力がない」と解釈した。

映画館に向かう電車の中でも、彼はずっと話していた。監督が過去に何を作ったか、原作のどのエピソードが重要か、評論家の誰がどんなことを言っていたか。私は何度か「それ、映画を見る前に聞いていい話なの?」と聞いたけど、彼は「これはネタバレじゃなくて文脈」と答えた。

たぶん彼の中では、知識を披露することと相手を楽しませることが同じだった。

映画が始まってからは静かだった。終わった瞬間、彼は大きく息を吐いて、「まあ、初見の人には難しいよね」と言った。私は普通に面白かったし、かわいいところも怖いところもあったので、感想を言おうとした。

「セイレーン、思ったより怖かったね。あと、あの料理って本当においしいのかな」

すると彼は、私の顔を見て、「そこ?」と言った。

そこから彼の感想が始まった。作品における共同体の描かれ方、消費されるかわいさ、善悪の単純化、物語の構造、作者の過去作との連続性。話している内容が間違っているとは思わなかった。でも、私が何を感じたかを聞く気はなさそうだった。

「で、君はどう思ったの?」と聞かれたので、私は「今言ったように怖かったし、料理は気になった」と答えた。

彼は「感想がそれだけ?」と言った。

その言い方がすごく嫌だった。映画を見たあとに、必ず立派な感想を提出しなければならないのだろうか。かわいかった、怖かった、よくわからなかった、でも十分じゃないのか。作品を見た人が全員、批評家みたいな言葉を持っているわけじゃない。

帰り道、彼は宇多丸のラジオだか配信だかで聞いた話をした。私はその番組を知らなかったので、「あとで聞いてみようかな」と言った。すると彼は、「映画を見る前に聞けばよかったのに。そうしたらもっと万全の状態で見られた」と言った。

私はそこで、万全って何だろうと思った。

他人の感想を先に聞いて、正しい見方を教えてもらって、彼の期待する場所で笑って、彼の期待する深さで考えることが、映画を見る準備なのか。私は映画を楽しむために来たのであって、彼の隣で試験を受けに来たわけではない。

その後、彼は私の態度が冷たかったと言った。「せっかく好きなものを共有しようとしたのに、興味を持つ努力すらしない」と。私は、興味を持つ努力はしている、と答えた。だから予習したいと言ったのだ。でも彼が欲しかったのは、私が興味を持つことではなく、彼と同じ順番で、彼と同じ方法で、彼の説明をありがたく受け取ることだった。

彼は「普通に映画を見ればいいのに」と何度も言った。私にはその「普通」が彼にしかわからないものに見えた。

数日後、私は別れたいと伝えた。理由は映画だけではない。普段から、私の言葉をいったん受け取らず、より正しい言い方に直したり、私の感想を浅いと評価したりすることが多かった。映画の日は、それが一度に見えただけだ。

彼は納得しなかった。「映画のことで別れるなんて、感情的すぎる」「本当は別の男がいるんじゃないか」「ちいかわに人生を壊された」と言った。

違う。ちいかわは何も悪くない。宇多丸も悪くない。映画も悪くない。あなたが、デートを自分の知識披露の発表会と勘違いしていただけだ。

最後に彼から来たメッセージには、「君とは作品の楽しみ方が違いすぎる。こんなことで振られる自分がかわいそうだ」と書いてあった。私は返事をせず、しばらくしてブロックした。

それから彼は、私に振られた話を、自分が映画を深く理解していたせいで恋人を失った悲劇として書いたらしい。しかも、私が何を言ったかはほとんど書かず、自分に都合のいいセリフだけ並べていた。

私は別に、彼にかわいいだけの感想しか持てと言っているわけじゃない。考察するのも、予習するのも、その人の自由だと思う。ただ、隣にいる人の感想を見下さないでほしい。映画の見方が違うことと、人間として優劣があることは別だから。

あと、映画を見る前に解説を聞くのが好きな人もいるし、何も知らずに初見で見るのが好きな人もいる。そこは本当に好みだ。だから最初に「私は予習したい」と言った時点で、「じゃあ今回は何も言わずに見よう」とか、「先に少しだけ見てから行こう」とか、普通に相談すればよかった。

相手を論破して自分の鑑賞法に従わせる必要なんてなかった。

今でも、あの映画の感想を聞かれたら、セイレーンは怖かったし、料理は煮付けにしたら食べられるのかなと思った、と答える。そこから先は、私が自分で考えたい。

彼の解説を聞いてからでないと、私の感想には価値がないみたいに扱われるのは、もう二度とごめんだ。