職場でたびたび飲みに行く女性が二人いる。二人とも既婚で、子供はいない。年齢は二人とも30代半ばくらいだったと思う。
別に変な関係ではない。メーカー勤務で、仕事の話もするし、趣味の話もする。二人とも話しやすくて、たまに三人でランチをしたり、仕事終わりに飲みに行ったりしていた。
僕には子供が二人いる。だから、二人が子供のいない生活について話すときも、最初は特に何も思わなかった。
「子供がいないと、夫婦で好きなところに旅行できるし、お金も自由に使えるし、DINKSっていいよね」
みたいな話を、二人は折に触れてしていた。
まあ、そうだろうなと思う。実際、子供がいると自由な時間は減るし、生活費も教育費もかかる。休日に夫婦二人で出かけることも難しい。僕も子供が生まれる前は、妻と旅行に行ったり、急に思い立って外食したりしていた。
ただ、二人がその話をするたびに、少しずつ引っかかるようになった。
子供がいる人生は大変だけど、良いことも多い。寝顔を見ているだけで幸せになるし、できなかったことができるようになる瞬間に立ち会える。家族が増えるというのは、単純に楽しいことでもある。
もちろん、他人に子供を持てと勧めたいわけではない。子供を持つかどうかは夫婦の自由だと思っている。そう思っていた。
ある日、いつものように三人で飲んでいた。二人はまたDINKSの話をしていた。子供がいないから家を広くできる、休暇を全部自分たちのために使える、老後の資金も貯めやすい。子供がいる家庭は大変そうだ、という話だった。
その日は仕事で嫌なことがあったせいか、僕もかなり酔っていた。
「でもさ、DINKSって社会にフリーライドしてるだけじゃない?」
自分でも、どうしてそんなことを言ったのかよくわからない。
子供を産んで育てる人がいるから、次の世代ができる。将来、社会保障を支えるのも、その子供たちだ。自分たちは子供を持たずに、子持ち世帯が負担しているものに乗っかって、自由にお金や時間を使っているだけではないか。
そんなようなことを、もっとひどい言い方で話した。
二人は黙って聞いていた。
一人が、「それは私たちが子供を持ちたくなかったからだと思ってるの?」と言った。
僕は、「だってDINKSって、あえて子供を作らない夫婦のことでしょ」と答えた。
すると、もう一人が笑って、「あえて、って言葉が好きだね」と言った。
二人とも、子供を持つことを積極的に拒否していたわけではなかった。
結婚した頃は、いつか子供ができればいいと思っていた。でも、夫婦ともに非正規雇用で、収入も安定しない。家賃を払い、生活費を出し、少し貯金をしたらほとんど残らない。子供に十分な教育を受けさせられるのか、病気になったらどうするのか、仕事を失ったらどうするのか。考えているうちに、時間だけが過ぎていった。
不妊治療をしていた時期がある人もいた。詳しいことは聞かなかった。聞けなかった。
「子供がいないから自由で最高、って言ってるけど、そう言わないとやってられないだけかもしれないよ」
そう言われた。
僕は、「でも結局、子供を持つという選択をしなかったのは自分たちじゃないか」と返した。
それに対して、彼女は少し声を荒げた。
「選択って言うけど、選べる条件がある人の言葉だよね。それに、子供を持つことを選んだ人だって、本当に社会のために産んだの? 自分が欲しかったからでしょ」
もう一人も、「子供がいて幸せなのはわかった。でも、それをこっちに当てつけみたいに話さないで」と言った。
そこで初めて、自分が逆のことをされていると思っていたのだと気づいた。
僕は、子供の話をされたときに、二人が自分たちの生活を否定しているように感じていた。でも二人からすれば、僕が子供の話をするたびに、自分たちにはないものを見せつけられているように感じていたのかもしれない。
とはいえ、僕としては子供自慢をしていたつもりはなかった。家族の話をしていただけだ。二人が「夫婦二人で出かけた」と言うのと同じように、僕は「子供と出かけた」と言っていただけだと思っていた。
でも、同じ言葉でも、置かれている状況によって意味は変わる。
僕は正社員で、子供が二人いて、生活も一応安定している。二人は非正規で、子供を持ちたいと思っていた時期があっても、経済的な不安から踏み切れなかった。そんな相手に向かって、子供のいない人は社会にただ乗りしている、と言った。
それは、ただの意見ではなく、相手の人生を否定する言葉だったと思う。
その場では誰も泣かなかったが、雰囲気は完全に壊れた。帰り際に一人が、「もうこの話はしないで」と言った。もう一人は何も言わなかった。
翌日から、二人とは仕事以外の話をしなくなった。こちらから謝ろうとも思ったが、何をどう謝ればいいのかわからなかった。酔っていたから、で済ませていい話ではない。
僕はずっと、子供を持つことも持たないことも、本人たちの自由だと思っていた。けれど実際には、子供がいて良かったという自分の実感を守るために、子供を持たない人たちの選択を評価していたのだと思う。
DINKSという言葉から、子供を持たないことを積極的に選んだ、余裕のある夫婦を想像していた。二人もそういう人たちだと思っていた。だから、自由で楽しそうな生活を話されると、自分たちの大変さを軽く見られているようで腹が立った。
でも、見えている結果が同じでも、そこに至るまでの事情は人それぞれだ。
望んで子供を持たない人もいる。欲しかったけれど持てなかった人もいる。経済的に諦めた人もいる。子供を育てる自信がなくて踏み切れない人もいる。そもそも子供が苦手な人もいる。
それを外から見て、「選んだんだから」「選ばなかったんだから」と簡単に決めつけていた。
子供がいて幸せだという気持ちは、他人の人生を否定しなくても持てる。自分の選択を肯定するために、反対の選択をした人を負け惜しみ扱いする必要もない。
たぶん二人も、自分たちの生活を肯定するために、DINKSの良さを何度も話していたのだと思う。僕はそれに傷つき、二人は僕の言葉に傷ついた。
どちらも、自分の人生が間違いではなかったと思いたかっただけなのかもしれない。
先日、仕事で二人のうち一人と話す機会があった。僕は、あのときは言い過ぎた、ごめん、と伝えた。彼女は「私たちも何度もDINKS最高って言ってたから」と言った。
それでも、以前のようには戻れないと思う。
子供がいる人生と、子供がいない人生。正社員と非正規。安定している人と、そうでない人。同じ職場にいても、背負っているものは違う。
人それぞれでいい、というのは簡単だけど、その「それぞれ」の中身を想像しないまま、わかったように話してはいけなかった。
僕は子供がいて良かったと思っている。それはこれからも変わらない。でも、それを誰かに納得させる必要はないし、誰かの人生と比べて証明するものでもない。
そのくらいのことを、もっと早くわかっていればよかった。