独身が多数派になる未来は結構地獄だと思う。
もちろん、独身者は全員ダメな人間だとか、結婚して子供がいる人は全員人格者だとか、そういう話をしたいわけではない。既婚子持ちでもどうしようもない人はいくらでもいるし、独身でも立派な人はいる。そこは前提として。
ただ、他人と長年共同生活を送ることや、言うことを聞かない子供を育てることによってしか得られない経験というのは、やっぱりあると思う。
自分の都合だけでは動かせない相手と暮らし、毎日発生する面倒事を引き受け、体調が悪くても仕事があっても、誰かのために判断しなければならない。子供が泣いているからといって「うるさい、知らない」と放置するわけにはいかない。相手の機嫌や事情を想像し、こちらの正しさをいったん脇に置き、生活を回す必要がある。
そういう経験を通じて、忍耐力や協調性、利他性、将来への責任感が多少なりとも育つ人はいる。人格が急に立派になるという意味ではなく、社会性を身につける機会が増える、というくらいの話だ。
逆に、その機会がないまま年齢だけ重ねる人も増える。仕事だけはうまくいって、会社ではそれなりの地位にいて、他人を動かすことには慣れている。しかし、対等な相手と生活を調整した経験も、弱い立場の人間を長期間世話した経験もない。自分の判断で周囲を動かせる環境から出たことがないので、思い通りにならない他人を見ると、すぐに敵意を向ける。
そんな人が社会の多数派になったら、かなり息苦しいと思う。子連れを邪魔者扱いしたり、少しでも迷惑をかける人を許さなかったり、他人の事情を想像せずに正論だけをぶつけたりする人が増える。誹謗中傷やカスハラのようなものも、結局は「自分の不快を解消するためなら相手を傷つけてもいい」という発想から出てくる。
ただ、結婚や子育てをしただけで成長するわけではない。配偶者や子供に責任を押しつけて、自分は何も引き受けない人もいる。家庭内で権威や暴力を振り回すだけの人もいる。子供に向き合わず仕事だけしていた昔の父親を見れば、子育て経験が人格形成の万能薬でないことくらい分かる。
だから本当は、独身か既婚かではなく、誰かと真剣に関わり、思い通りにならない現実に責任を持った経験があるかどうかが重要なのだと思う。仕事で部下を育てることでも、介護でも、地域活動でも、友人との共同生活でもいい。自分以外の人間を、自分の欲望を満たすための道具として扱わない訓練が必要なのだ。
それでも、子供がいない人が増えれば、次の世代の人数が減るという問題は残る。年金や介護、インフラを誰が支えるのか。自分が死んだ後の社会を、自分の問題として考える人が少なくなれば、目先の快適さだけを優先する政治や制度になっていくかもしれない。
独身者を責めたいわけではない。結婚できない理由には経済的なものも、制度や社会の問題もある。結婚や出産を個人の努力や人格の問題にしてはいけない。
ただ、独身が多数派になる未来に、「みんな自由になって、もっと幸せになる」とだけ言われると、少し違う気がする。自由になった人たちが、他人への責任や未来への関心まで手放したら、そこに待っているのは自由というより、互いに他人を見捨てる社会ではないだろうか。
結婚や子育てをしたから偉い、しないから劣っている、という話ではない。けれど、人が大人になるための負荷を、社会全体でどう引き受けるのかは考えておいた方がいいと思う。