漫画を見るにしても、誰かが持ち上げているから批判するとか、誰かが嫌っているから逆に褒めるとか、そういう態度はどうなんだろうと思う。
もちろん、どんな作品がどんな層に支持されているのかは気になる。どういう言葉で持ち上げられているのか、その褒め方に納得できるのかも見る。作品そのものより、周囲の熱狂や、それに付随する人間関係のほうが目に入ってしまうこともある。でも、そこで欺瞞や不健全さを感じたから批判するのであって、単に人気だから嫌いになるわけではない。誰かが嫌っているとしても、その理由に共感できなければ同調することはできない。
とはいえ、実際にはかなり流される。流行りの作品を見て「自分はそんなに簡単に乗らないぞ」と思っていたのに、三か月後にはすっかりハマっていることがある。逆に、ホッテントリに入っていて、はてなで絶賛されている漫画は、なぜか読む気が失せる。自分だけが見つけた感じが消えてしまうからだろうか。誰も知らない素敵なものを見つけたと思った瞬間、みんなが同じ感想を並べ始めると、その希少性が損なわれたように感じる。
「みんなが褒めているから自分も褒める」と「嫌っている人たちが批判しているから自分は持ち上げる」は、向きが違うだけで同じことだ。自分の感想を他人の評価で上書きしている。ブックマークのコメントは順番に並ぶし、星の数も見える。最初の数人が絶賛していると、後から読む人の感想までその勢いに引っ張られる。作品を読んでいるというより、作品についての情報を食べている状態になる。
ただ、他人の評価を参考にすること自体が悪いわけではない。面白い漫画を自力で全部探すには時間も金も足りない。ランキングや口コミを見て、安牌を選ぶのは合理的だし、巨人の肩に乗ることで自分の世界が広がることもある。料理だって、評判の店を選ぶほうが外れは少ない。情報より美味しいものはなかなかない、と開き直って、もっと食べさせてほしいと思うこともある。
問題は、参考にした評価を自分の感想だと思い込んでしまうことだ。自分が好きならそれでいいし、つまらないと思ったならそれでいい。一般的に面白いと言われているものを批判するときだけ、やたらと論理的な説明を要求されるのも変だ。エンタメを見て何を感じるかは自由で、「そこが気になるのか」「そんな解釈をするのか」と思われることまで恐れる必要はない。
一方で、人気作を色眼鏡で見てしまう自分にも気をつけたい。絶賛されているから読む気が失せる、という反発もまた、他人を基準にした反応だからだ。逆張りを続けていると、いつの間にか作品ではなく、作品を好きな人たちと戦っている。ファンが嫌いだから作品も嫌い、活動家が因縁をつけたから作品と作者をまとめて憎む、というのはさすがに自分の感性とは呼べない。
中学生のころは、流行に乗らない自分を少し特別だと思っていた。今振り返ると、かなり恥ずかしい。中二病や高二病のような時期を通ること自体は悪くないのだろう。人の評価軸から離れて、自分の軸を作る途中には、逆張りも必要なのかもしれない。でも、いつかは王道がなぜ面白いのかを自分なりに解析し、好きなものを好きと言えるようになりたい。
漫画でも音楽でも、SNSで話題に乗る楽しみと、自分だけで静かに楽しむ時間は別腹だ。ランキングに入っているから面白いとは限らないし、下位だから価値がないわけでもない。結局、どの漫画がすごいのかは自分で読んで決めるしかない。周囲の熱狂を借りて走るのもいい。けれど、追い風が止まったあとに残るものくらいは、自分の感想であってほしい。