日本の雇用問題って、結局ぶら下がり社員を排除できないことに尽きるんじゃないかと思っている。

明らかに仕事をしない、責任を取らない、周囲に仕事を投げるだけなのに、正社員という身分だけは守られて、給料と年功だけは上がっていく。そういう人が一人いるだけで、まともに働いている人にしわ寄せが行くし、できる人ほど嫌になって転職していく。結果として会社には、辞めさせられない人と、辞めるに辞められない人ばかりが残る。

もちろん、経営者や管理職の無能を棚に上げて、何でも社員のせいにするのは違う。採用したのも、配置したのも、評価制度を作ったのも会社だ。仕事を与えず、育てず、評価もせずに「生産性が低い」と言うのは、かなり都合のいい責任転嫁だと思う。

ただ、現実にサボっている人をサボっていると判定する仕組みがない。職務の範囲も曖昧で、「その他一切の業務」みたいな契約になっている。評価を下げれば揉める、減給も難しい、配置転換も受け入れ先がない。解雇しようとすれば長い時間と費用がかかる。だから会社は、結局その人を飼い殺しにする。これは本人にとっても、周囲にとっても健全ではない。

解雇規制を緩和しろ、という話をすると、すぐに「明日から誰でもクビになる」「中高年は路上に放り出される」と言われる。それはその通りで、何の補償もなくクビにできる社会がいいとは思わない。病気や介護や家庭の事情で一時的に働けない人まで、ぶら下がり社員の一言で切り捨てるのは違う。

だから、金銭解雇を制度化するなり、十分な手切れ金や職業訓練、失業給付を用意するなり、転職市場と社会保障を一緒に整える必要がある。会社に雇用と生活保障のすべてを背負わせる仕組みを変えるなら、社会全体で引き受ける覚悟が要る。

「優秀な人は解雇されない」と思っている人もいるけれど、企業は株主向けの数字をよく見せるためなら、優秀かどうかに関係なく人を切る。逆に、解雇しにくいからこそ採用を絞り、非正規や外注に逃げる会社もある。

ぶら下がり社員を何人か排除すれば解決する、という単純な話ではない。2:6:2の法則のように、排除しても残った人の中から新たな低パフォーマーは出てくるだろう。それでも、成果も責任も問われない人が無敵になっている状態は、変えた方がいい。

ただし、誰を「不要」と呼ぶのかを決める側が無能な経営者だったら、最初に切られるのは真面目な下っ端や、上司に媚びない人かもしれない。結局、解雇しやすくするだけでは足りない。職務と評価を明確にして、会社側の人事権も含めて見直さないと、単に弱い人が使い捨てられるだけになる。

雇用問題は、社員を削れば終わる話ではない。働き続けたい人を守りながら、働かないことが得になる仕組みもなくす。その両方をどう実現するか、という話だと思う。