最近、生成AIで書かれたらしい小説を読む機会が増えた。別にAIを使うこと自体を問題にしたいわけではない。下書き、資料整理、行き詰まった場面の案出し、誤字の確認。そういう用途なら、便利な道具なのだろうと思う。実際、最後まで書き上げるために使うなら、使わないより使ったほうがいい場合もある。
ただ、文章を読んでいて、なんとなく「AI臭い」と感じることはある。その正体を考えてみると、単に文章が上手すぎるとか、逆に下手だとかではないらしい。短い文が連続する。言い切りが多い。体言止めが続く。やたらと括弧やカギカッコを使う。特定のモチーフや比喩を、場面が変わっても何度も繰り返す。文章の表面だけ見ると整っているのに、読んでいると妙に平板で、どこか人間の呼吸から外れている。
「彼はそう言った。決意。静かな決意。揺るがぬ決意。」のような書き方が続くと、もう内容よりリズムの規則性が気になってしまう。体言止め自体は人間も普通に使うし、括弧が多い書き手だっている。自分も学生時代から括弧が多いと言われてきたので、そこだけでAIと決めつけられたら困る。特徴は証拠ではなく、あくまで手掛かりだ。
もっと大きいのは、登場人物が「その場にいなかったこと」まで知っているように振る舞う問題だと思う。いわゆるサリー・アン課題、つまり、誰が何を見て、何を知らず、どの時点で何を知ったのかを区別する問題である。群像劇では特に起きやすい。Aの視点で進んでいたはずなのに、突然Bだけが知っている秘密をAが理解している。別の場所にいた人物が、見ていない出来事を当然のように語る。読者には説明されていない情報を、全員が共有している。
AIに書かせると、長い構成の中でこの管理が崩れやすい。同じ人物が続けて話しているのに、カギカッコが閉じたり開いたりして、誰の発言なのか分からなくなることもある。会話の中身も、「それはAなんだ」「A?」「そう、Bとも言う」「B……」のような確認と相槌が延々と続く。説明しているというより、説明した内容をもう一度確認している。相槌がうるさい。
しかも、人物ごとに口調を変えても、結局は口調だけ違う同じ人間の一人芝居になりがちだ。全員が同じ速度で論理的に話し、同じ種類の比喩を使い、同じところで気の利いた洞察を挟む。特に重要でもないことを、物語上の重大な発見のように何度も言い直す。決め台詞でもない一文をAIが気に入ってしまい、キャラクターの口癖のように繰り返すこともある。
山場が山場らしくならないのも気になる。ここが感情の頂点だろう、という場面が、説明の場面と同じ調子で処理される。誰かが裏切る。大切なものを失う。長く隠されていた事実が明らかになる。それなのに文の温度がほとんど変わらない。出来事は起きているのに、演出がない。読後感が「今のは盛り上がるところだったのか?」で終わる。
ただし、これはAIだけの欠点ではない。人間の書き手だって、視点を混ぜるし、設定を忘れるし、似た場面を繰り返す。小説を書き始めたばかりなら、サリー・アン問題を一度もやらかさない人のほうが少ないかもしれない。昔の作品を読んでいても、裏で情報を流している人物がいるように見えたのに、最後まで何も回収されないことはある。作者が単に気づいていなかったのか、読者が深読みしただけなのか、分からないまま終わる。
だから、サリー・アン問題を突破できないことだけでAI判定するのは危険だと思う。人間にもできない人はいるし、AIを使っていても丁寧に直している人はいる。人物ごとのプロフィール、役割、知っている情報、時系列を表にして、先にプロットを作り、矛盾を確認してから本文を書く。そうすれば多少は改善するだろう。出力後に、その場面にいない人物が知りえないことを言っていないか、視点人物の感情が急に説明されていないかを手で読むだけでも違う。
結局、AI利用の有無より、人間が成果物を読んで判断しているかどうかのほうが重要だ。専門知識のない分野でAIに質問し、出てきた説明の正しさを確認できないまま公開すれば、もっともらしい誤情報の量産になる。小説でも同じで、歴史ものなら時代にありえない発言が出るし、技術ものなら細かい説明だけが妙に充実して、肝心の物語が空っぽになる。文章描写だけ立派で、キャラクターとプロットが稚拙だと、かえって不自然さが目立つ。
一方で、AI臭さを見抜いたつもりになることにも危うさがある。AIが普及したせいで、普通にその文体で書いてきた人まで疑われるようになる。画像生成AIの透かしを直感で読み取ったつもりになるのと似ている。体言止めが多いからAI、固有名詞の前後に半角スペースがあるからAI、断言調だからAI。そんな判定は、せいぜい「自分はそう感じた」というところに留めるべきだろう。
生成物に心を動かされたあとで、それがAI製だと知ることを恐れる人もいる。けれど、作品が自分に与えた感情まで偽物になるわけではない。逆に、AIだからという理由だけで面白くないと決める必要もない。面白いならAIでもいいし、使っていても最後まで書ききってくれればいい。途中で止まった連載を、AIであれ人間であれ、完結させてくれるなら読者としてはありがたい。
たぶん今は、文章にも不気味の谷ができている。人間らしく整っているのに、どこか規則的すぎる。感情を説明しているのに、感情が動かない。知識はあるのに、その人物がどうしてそれを知っているのかが抜け落ちている。そういう小さなズレが積み重なって、AI臭さになる。
そして、そのズレを手で直せるなら、直したほうがいい。AIを使ったかどうかを隠すためではなく、物語の中で誰が何を見て、何を知らず、何に傷つき、何を選んだのかを、自分で確かめるために。そこまでやって初めて、AIに書かせた文章が自分の小説になるのだと思う。