「今そのハッシュタグ使う!?」って思うことがある。

いや、ハッシュタグ自体が嫌いなわけじゃない。いま何を聴いているかを知らせる #nowplaying も、イベントや話題を追うためのタグも便利だと思う。けれど、どう見てもその場面で使うものではないタグを、ものすごく自然な顔で付けている投稿を見ると、つい二度見してしまう。

たとえば、初めて投稿したらしい人が「Twitterはじめました。#はじめてのツイート」。これはまあ、わかる。スタバに来て「#スタバなう」、家に着いて「#帰宅なう」も、時代の空気としてはわかる。海水浴で「#クラゲ好きな人と繋がりたい」も、刺されていないなら微笑ましい。

一方で、「#脱糞なう」はどういう判断なんだろう。そこまで実況する必要があるのか。しかも、つながりたい相手が見つかるとは思えない。「#ムカデ人間好きな人と繋がりたい」も、同じ趣味の人には大事な情報なのかもしれないけど、突然タイムラインに現れたらかなり身構える。

「#拡散希望」は、いちばんよく見るけど、使いどころを間違えると一気に切実さがなくなる。何か助けを求めているのかと思って開いたら、ただの近況報告だったり、冗談だったりする。今回のタイトルにある「何のタグ?」という問いの答えは、選択肢としてはAの「#拡散希望」なんだろうけど、それだけでは説明になっていない気もする。

「#ゆる募」「#followme」「#followmeJP」も、募集や交流の文脈ならいい。でも、何を募集しているのかわからないまま貼られていると、こちらもどう反応していいのかわからない。無断リンク厳禁、キリ番踏み逃げ禁止までハッシュタグにすると、急に昔の個人サイトの空気が漂ってくる。

ところで、ハッシュタグの「#」と音楽の「♯」の違いがわからない、という投稿も見かけた。似ているけど別物だし、説明しようとすると意外と難しい。こういう細かい疑問がそのままタグになっているのは、ちょっと好きだ。

「#ミノフスキー粒子」「#オマエモナー」「#はてなブックマーク」みたいに、検索用というより、その言葉を置いておくこと自体がネタになっているものもある。「我はメシア、明日この世界を粛清する」まで来ると、もうタグというより投稿者のテンションの問題だ。

結局、ハッシュタグは便利な道具だけど、付ければ付けるほど伝わるわけではない。投稿の内容とタグがかみ合っているときは、知らない人とも話がつながる。かみ合っていないときは、「今それ使う!?」という感想だけが残る。

まあ、そんな違和感も含めて眺めるのが楽しいんだけど。