最近、英語圏のゲームコミュニティを眺めていると、「AAA slop」という言葉をよく見かける。

slopはもともと、質の低い食べ物とか、家畜に食わせるような残飯っぽいものを指す言葉らしい。そこから、手間や金をかけて作られたように見えるけれど、中身は薄く、似たようなものを大量に消費させられる感じの作品を、雑にslopと呼ぶようになったのだと思う。

AAAは大手メーカーの高予算タイトル、いわゆる超大作ゲームのこと。だからAAA slopというのは、単純に「出来の悪い大作」という意味ではない。むしろグラフィックは綺麗で、マップは広く、ボリュームも多い。技術的にはすごいし、遊べないほど破綻しているわけでもない。それでも、触っていると「またこのタイプか」となる。

オープンワールドを歩き、塔や拠点を見つけ、マップ上のアイコンを消していく。素材を集め、装備を強化し、似たようなおつかいをこなし、途中で短い会話やムービーが挟まる。戦闘にソウルライクの要素が入り、クラフトや収集要素が追加され、プレイ時間だけは長い。個々の部品はよくできているのに、全部を組み合わせると、どこかで見たゲームの差分にしか思えない。

「減点法なら百点、加点法なら零点」という表現がかなり近い。大きな不満はない。でも、驚きもない。遊んでいる間はそれなりに楽しめるのに、クリアしたあとに何が残ったのかと考えると、作業の記憶しか残っていない。お金も時間も人手も大量に注ぎ込まれているのに、差分を取り出したら何も残らない、という空虚さだ。

もちろん、これはかなり主観的な言葉だと思う。初めてオープンワールドを遊ぶ人なら、同じ仕組みでも新鮮に感じるだろうし、収集物を埋めていくのが好きな人にとっては、豊富なコンテンツそのものが魅力になる。王道とマンネリは紙一重で、安定した面白さを求める人にとって、前例踏襲は必ずしも悪ではない。

ただ、大作になるほど失敗できないという事情はある。開発費が膨らみ、発売後の売上を大きく外せないなら、過去に成功した要素を組み合わせるのが合理的だ。オープンワールド、クラフト、収集、成長、映画的な演出、オンライン要素。どれも単体では悪くないし、マーケティングもしやすい。しかし、成功例を積み重ねるほど、作品から冒険できる余地が減っていく。

これはゲームに限らず、ハリウッドの娯楽大作や、似たような展開の映像作品にもある。豪華で、分かりやすくて、誰にも強く嫌われない。その代わり、誰かの記憶に深く残るような変な部分も削られている。製作者がサボっているというより、巨大な企画を成立させるために、合理性と市場調査が勝ちすぎている感じだ。

日本語なら「量産型」「紋切り型」「二番煎じ」「大作なのに凡作」あたりが近いのかもしれない。昔なら、特定の会社っぽい、あるいは特定のジャンルっぽい、と言われていたものを、英語圏ではslopという一語でまとめているのだろう。

便利な言葉ではあるけれど、便利すぎる言葉はすぐに劣化する。最初は「高予算で、よく出来ているのに既視感のある作品」というニュアンスだったのが、気に入らないゲームを何でもslopと呼ぶ人が出てくる。具体的にどこが悪いのか説明せず、レッテルだけ貼って終わるレビューも増える。そうなると、言葉自体が批評ではなく、単なる悪口になる。

それでも、この言葉が広まる理由は分かる。ゲームは体験だから、完成度だけでは満足できない。綺麗な画面や大量のコンテンツはお金で用意できても、「こんな遊び方があったのか」というアイデアは、予算を増やせば出てくるものではない。

最近インディーゲームに勢いがあるのも、超大作への飽きと無関係ではない気がする。小規模な作品なら、妙なルールや短いプレイ時間、極端なデザインにも挑戦できる。大作には大作の良さがあるし、何もかも革新的である必要はない。でも、よく出来ていること自体に慣れてしまうと、次に欲しくなるのは、もう一段の個性だ。

結局、AAA slopとは「つまらないゲーム」より、「お腹いっぱいなのに、まだ同じ料理を出される感じ」を指す言葉なのだと思う。美味しくないわけではない。ただ、見た目も味付けも似ていて、食べ終わったあとに、またこれか、とつぶやいてしまう。