ふと思ったのだけど、主人公なのに本名がわからないキャラクターって、かなり多い。しかも「名前がない」という一点だけで、作品の見え方が少し変わる気がする。名前を隠していること自体が設定になっている場合もあれば、単に読者に提示されていないだけの場合もある。そこを同じ「本名不明」と呼んでいいのか、という話でもある。
まず思いつくのは、やっぱり戯言シリーズの「ぼく」こと、いーちゃん。作中ではいーちゃんと呼ばれているけれど、それが本名ではないことはほのめかされているし、シリーズを通して本名当てそのものがひとつのフックになっている。手掛かりらしきものは散らばっているのに、最後まできっぱり明かされない。この「わかりそうでわからない」感じが、語り手の信用できなさともつながっていて、単なる匿名とは少し違う。
同じく強いのが、涼宮ハルヒシリーズのキョン。こちらは名前がないというより、あるはずの本名を読者に教えないタイプだろう。妹の名前や周囲の人物の名前は出てくるのに、本人だけがずっとキョンのまま。あだ名で呼ばれ続けることで、読者も自然にそれを名前として受け入れてしまう。由来についてはいろいろな説があるけれど、作中で確定しない以上、やはり本名不明と言ってよさそうだ。
「人類は衰退しました」のわたしちゃんも、最初はまさにこの枠に見える。自分でも「わたし」としか名乗らず、周囲からもそう呼ばれる。後半でマーゴにあたる呼び名が出てくるので、完全に何もわからないわけではないのだけど、それが本名なのか、コードネームなのか、愛称なのかはまた別の問題だ。そもそも本名というものをどこまで重視する世界なのかも、作品によって違う。
ゲームになると、ドラゴンクエストの主人公が一気に増える。名前入力式なので、プレイヤーがつけた名前がそのまま主人公の名前になる。公式のデフォルト名が存在する作品もあるけれど、プレイヤーの分身として設計されている以上、「本名」は最初から空欄なのだろう。ポートピアの主人公も、作中ではボスとしか呼ばれない。名前を決めないことで、プレイヤーがそこに入り込める。
一方で、ゴルゴ13のように、本名を隠すことがキャラクターの性質になっている人もいる。ゴルゴ13は通称で、デューク東郷も本名ではなさそうだ。コブラもコブラという名前が本名なのかは怪しく、ジョンソンなど別の名を使うことがある。スパイ、暗殺者、賞金稼ぎ、流れ者。こういう人物が本名を名乗らないのは、物語上かなり自然だ。
草薙素子も、原作では名前そのものが偽名らしいとされる。攻殻機動隊の登場人物はコードネームや通称で呼ばれることが多く、荒巻大輔以外は本名がどこまで本名なのかわからない、という見方もできる。スパイファミリーのロイド・フォージャーも偽名だし、ゴブリンスレイヤーは職業名、TENETの主人公は本当に「主人公」あるいは「名もなき男」としか呼ばれない。このあたりは匿名性が作品の仕掛けになっている。
逆に、ちいかわはどうだろう。単行本の帯では「この子がちいかわです」と紹介されているけれど、世界の中でそれが個人名として使われているわけではない。ハチワレやうさぎも、種族名や見た目からの呼び名に近い。鎧さん、島二郎、セイレーンなど、固有の呼び名を持つ存在もいるが、ちいかわ族に戸籍上の名前があるのかはわからない。名前がないこと自体が、あの世界の不思議さを作っている気がする。
ルパン三世もややこしい。アルセーヌ・ルパン三世でいいのか、アルセーヌ・ルパンは襲名名なのか、別に出生名があるのか。媒体によって扱いが違うらしく、断言しにくい。金田も、映画では免許証に金田正太郎と出ているという話があるので、名字しかないと思っていた人と、フルネームが判明していると思う人で分かれる。作品の外側の情報まで含めると、匿名性の境界はどんどん曖昧になる。
村上春樹の初期作品の「僕」や、四畳半神話大系の「私」、こころの先生とK、ファイト・クラブの語り手も、名前を明かさないことに意味がある。吾輩は猫であるの「吾輩」や、羅生門の下人のように、名前ではなく役割や立場だけで呼ばれる人物もいる。光源氏や竹取物語のかぐや姫だって、今の感覚でいう本名とは違う。
結局、名前がわからないからといって人物が薄くなるわけではない。むしろ名前がないぶん、読者が勝手に輪郭を補う余地ができる。通称でも、職業名でも、呼び捨ての一人称でも、物語の中で呼び名として機能していれば十分なのかもしれない。とはいえ、いーちゃんやキョンの本名がいつか明かされるのか、という期待だけは、匿名のまま残り続けるのだと思う。