仕事が超忙しかった時期があって、その日はたぶん人生でいちばん疲れてた。
会社を出た時点でもう何もしたくなかったんだけど、家に食べるものがなかったので、帰り道のスーパーに寄った。深夜だったし、買うものを考えるのも面倒だったから、酒類売り場の前でぼんやり立ち止まって、たぶん独り言で「超疲れた……」って言った。
本当に、誰かに聞かせようと思ったわけじゃない。ただ口から出た。
そしたら横から「大丈夫ですか?」と声をかけられた。
びっくりして顔を上げたら、同じように買い物に来ていた女性だった。別に具合が悪そうだったわけでもないと思うし、ただ疲れたと言っただけなのに、ちゃんと心配してくれたらしい。
「いや、すみません。超疲れただけです」 「それは大丈夫じゃないじゃないですか」
みたいなことを言われて、そこで少し笑った。
その人も仕事帰りで、やっぱり疲れていた。何を買うか決められなくて酒売り場をうろうろしていたらしい。お互いに疲れたね、という話をしているうちに、なぜかその場で少し会話が続いた。
普段の自分なら、知らない人に話しかけられても適当に会釈して終わると思う。でもその日は本当に疲れすぎていて、警戒する気力もなかった。相手もたぶん同じだったんだと思う。
「もしよかったら、このあと飲みませんか」
と誘ったら、少し驚いた顔をしてから、「いいですよ」と言った。
今考えると、初対面の人とそのまま飲みに行くのは結構すごい。しかも出会った場所がスーパーの酒売り場。もっと警戒されてもおかしくなかったし、普通なら自分だって誘わない。
でも、その日は超疲れていた。
近くの店に入って、仕事のこととか、住んでいる場所とか、どうしてこんな時間にスーパーにいるのかとか、そんな話をした。たぶんお互いに、普段なら初対面の人には話さないようなことまで話していたと思う。疲労と酒のせいで、心のガードが下がっていた。
その日は遅くまで話して、連絡先を交換して別れた。
それから何度か会うようになって、付き合うまでに三か月くらいかかった。特別にドラマチックな出来事があったわけではなくて、会って話しているうちに、気づいたら一緒にいるのが自然になっていた。
そして、出会ってから三年後に結婚した。
いまだに、あの日スーパーで「超疲れた」と言っていなかったらどうなっていたんだろうと思う。声に出していなければ、相手も声をかけてこなかっただろうし、声をかけられても自分が返事をして、そのまま帰っていたかもしれない。
疲れ果てていたからこそ、変に格好つける余裕がなくて、相手の言葉にも素直に反応できた。たまたま同じ時間に、同じスーパーで、同じくらい疲れていた。それだけのことなのに、人生が変わった。
だからまあ、あれは運命だったんだと思う。
妻には今でも「最初に会ったとき、酒売り場でずいぶん大きな声で疲れたって言ってたよ」と言われる。
超疲れた婚です。