三大、こんな戦国の異名はいやだ
戦国武将の異名って、「越後の龍」とか「甲斐の虎」とか、だいたい強そうでかっこいい。本人が名乗ったのか、後世の人が勝手につけたのかはさておき、名前の横に添えるだけで戦闘力が上がる感じがする。
でも、異名は何でもいいわけじゃない。たとえば「海道一の弓取り」なら徳川家康……ではなく今川義元の立派な肩書きなのに、「海道一のねっとり」になった瞬間、何を褒めているのかわからなくなる。「海道一のシミ取り」も、戦国大名というより通販番組だ。
「肥満の熊」もいやだ。龍造寺隆信は実際に体格が大きかったらしいので、嘘ではないのかもしれないが、龍とか虎とか熊とか、そういう勇ましい動物の列に入れてもらったと思ったら、急に健康診断の結果みたいになる。
「毒饅頭政宗」も、伊達政宗の美学や眼帯のかっこよさを全部台無しにしている。饅頭を毒入りにするのか、毒饅頭を好んで食べるのかもわからない。「エッチ後の龍」「独身龍」あたりも、龍の威厳を生活情報に変換しすぎている。
異名というより、本人が書いて配っていたらそれが定着しそうなものもある。「我が名は狼」「身体は闘争を求める」などの札をばらまく塙団右衛門。夜討ちの大将という立派な呼び名が、単なる自称だった可能性を考えると、歴史上の異名は案外こういうノリで決まっていたのかもしれない。
明智光秀も「謀反の大将」などと呼ばれるより、「後出し孔明」とか「美濃の間貸し」とか、微妙に事情を知っている人しか笑えない呼ばれ方をされたほうが嫌そうだ。前者は結果を見てから賢そうに振る舞う感じ、後者は本能寺の一件を不動産業みたいにしてしまう感じがある。
織田信長は異名の材料が多すぎる。「ただの猿」「ハゲネズミ」は、信長が秀吉をどう呼んだかという話なのに、秀吉本人の異名として定着したらかなり悲しい。「サル、はげねずみ」と並べて呼ばれるだけで、天下人の威厳が急速に消える。そこへ「信長のシェフ」まで加わると、もう大名なのか料理番なのかわからない。
一方で、異名の人数や所属が合わないのも困る。「西美濃三人衆の四人目」「府中三人衆の三人目」「龍造寺四天王の六人目」。三人衆なのに四人目、四天王なのに六人目。名乗る側は得をしているのかもしれないが、後世の人間は名簿を作るたびに混乱する。
「越後の一条龍」「越後のトカゲ」も、龍とトカゲの落差がすごい。上杉謙信の毘沙門天信仰を、毘沙門天の夢女子くらいの軽さで語るのもやめてほしい。戦場に現れる軍神ではなく、推しの神様について延々と語る人に見えてくる。
今川義元なら「大判義元」「回転義元」「おやき義元」「あじまん義元」「御座候義元」と、菓子売り場だけで五種類くらい作れる。どれも本人より先に商品名が立っている。「赤まむしの道三」も、斎藤道三の策謀より滋養強壮の印象が強い。
「ヤリチンの又左」「クンニ将軍」などは、歴史の授業で絶対に出てこない方向の異名だし、「人さらし」は六条河原で何をしたのかだけを強調していて、武将というより治安情報である。「ハダカデバネズミ」も、動物としては面白いが、武将につける理由が一切ない。
「戦国最弱」「じゃないほうのオダ」の小田氏治は、さすがに本人が聞いたら怒るだろう。でも、何度負けても戻ってくるという話を考えると、最弱というより異常な耐久力の持ち主である。「アメリカ五郎左」も、どのへんがアメリカなのか不明なまま、妙に口に出したくなる。
結局、嫌な異名には三種類ある。
かっこいい肩書きを生活感で汚すもの。本人の特徴を必要以上に正確に言うもの。そして、人数や時代や場所をわざと間違えて、訂正したくても訂正しづらいもの。
戦国武将のみなさんには、できれば「龍」「虎」「軍神」あたりで穏便に済ませていただきたい。後世の人間は、あなたたちのことを「なにわのモーツァルト」とか「下町のナポレオン」とか「甲斐のトランプ」とかにしたくて仕方がないので。