かわいい女の配信を見てブチ切れている
かわいい女の配信を見ている。
かわいい。エロい。声もいい。話もそこそこ面白い。画面の向こうで楽しそうに笑っていて、俺はそれを見ながら飯を食い、仕事をさぼり、たまにコメントを書き、気が向いたら金を投げる。
そしてブチ切れている。
何に怒っているのか自分でもよく分からない。配信者が悪いわけではない。約束を破ったわけでもないし、俺に特別な態度を取ると言ったわけでもない。最初から「みんな大好きだよ〜」と言っているだけだ。俺個人を愛しているとは一言も言っていない。
なのに、その言葉を聞くたびに腹が立つ。
みんなって誰だよ。俺もその中に入っているのか。入っているとして、俺は俺として入っているのか、それとも再生数一、コメント一、金額数百円として入っているのか。
たぶん後者だ。いや、もちろんそうだ。配信者から見れば、視聴者は大勢いるうちの一人だ。毎回コメントする人も、投げ銭する人も、ある日突然来なくなる。配信者はそれを知っている。俺だって知っている。
知っているのに、俺は勝手に個人として見られたがっている。
「いつもありがとう」と言われたら、俺のことを覚えているのかもしれないと思う。「みんな大好き」と言われたら、俺も好きの対象に含まれていると思う。でも、その好きは恋人の好きでも、友達の好きでもない。お金をくれる人、応援してくれる人、場を盛り上げてくれる人への好きだ。家族やペットに向ける愛情に近い、と言う人もいる。たぶんそれで十分だし、嘘でもない。
それでも俺は、そこに恋愛の可能性を見てしまう。
かわいい女が画面の中で笑う。俺はその笑顔を見るために時間を使い、金を払い、彼女の人気が伸びる手助けをする。すると彼女はますます有名になり、選べる側になり、俺から遠ざかる。
俺は俺の欲望によって、相手をますます選べる側にして、俺自身をますます選ばれない側に固定しているのではないか。
ふざけるな! 俺は何をやっている?
貧乏人の俺の一再生が、すでに稼いでいる女の金になる。モテない俺の一再生が、モテる女の人気を加速させる。俺は相手を好きになればなるほど、相手の市場価値を上げ、自分との距離を広げている。こんな馬鹿な話があるか。
ある。
テレビを見るのも、コンビニで買い物をするのも、企業に金を払うのも似たようなものだ。自分が使った金や時間が、相手を大きくする。大きくなった相手は、俺のことなど知らない。資本主義とはそういうものだ。そんなことを言い出したら、誰とも関わらず自給自足の村にでも行くしかない。
だから理屈では分かっている。配信を見るのをやめればいい。自分で何かを作ればいい。配信者になって同じ土俵に立てばいい。かわいい女に使う金を、現実の人間関係や自分の生活に使えばいい。寝て、運動して、外に出て、誰かと話せばいい。
実際、配信を見るのは半分やめている。自分でも少し活動している。自分の時間を、自分のために使おうとしている。
でも残り半分は見ている。
仕事が終わって、部屋が静かで、何もする気がないとき、彼女が配信を始める。通知が来る。画面を開く。声を聞く。かわいい。ちんちんは乾く暇などない。
その瞬間だけは、俺もそこにいていいような気がする。誰かと同じものを見て、同じところで笑って、コメント欄の群れの一部になる。個人として見られたいくせに、みんなの一人である安心も欲しい。
俺は矛盾している。
「みんな」は個々人の集合ではなく、ファンという群体なのだろう。配信者が好きなのは、俺の常在菌やミトコンドリアではなく、画面の前にいるリスナーという塊だ。俺が自我を出せば、ただの一人の視聴者として処理される。自我を捨てて群衆になれば、安心して「みんな大好き」の中にいられる。
その仕組みが分かっているのに、俺は自分だけは例外でありたいと思っている。
配信者にとって、視聴者は銭か人気の元だ。だから「みんな大好き」は、「みんなから来るお金や注目が大好き」という意味を含んでいる。俺だって金払いのいい相手には感謝する。仕事のメールで「いつもお世話になっております」と書くのと同じ社交辞令だ。誰も本気で全員を愛しているとは思っていない。
なのに、俺はその言葉に噛みつく。
たぶん俺は、かわいい女が好きなのではなく、かわいい女に選ばれたいのだ。あるいは、選ばれる可能性があると思いたいのだ。配信という、コメントを拾われたり名前を呼ばれたりする場所が、その錯覚を強くする。無数の観客の一人なのに、返事が返ってくると一瞬だけ個人になれる。
その一瞬のために、俺は金を払い、再生数を増やし、相手をもっと遠くへ押し上げる。
馬鹿だと思う。
でも、好きだから見る。好きだから怒る。どうでもいいなら、こんな長い文章を書いていない。
俺は配信者が嫌いなのではなく、配信者を好きになってしまう自分が嫌いなのだと思う。相手を責めているようで、実際には自分を責めている。どうして俺はもっと魅力的ではないのか。どうして俺は選ぶ側ではなく、選ばれるのを待つ側なのか。どうして金も外見も人気もない俺が、そういうものを持つ相手に自分の時間を差し出しているのか。
ふざけるな! 俺は何をやっている?
……まあ、今日はもう寝る。
明日も配信が始まったら見るかもしれない。コメントはしない。投げ銭もしない。いや、記念配信だったら少しだけ投げるかもしれない。
みんな大好きだよ〜、と言われたら、また腹を立てるだろう。
その「みんな」の一人として。