婚活市場のリアル、男女ともにそんなキラキラしてない件について

婚活を始めてしばらく経つ。始める前は、そこには結婚したい男女が集まっていて、プロフィールを見ながら条件を比べ、何度か会えば自然に話がまとまるような場所を想像していた。実際に行ってみると、もちろん普通に働いている人もいるし、身だしなみに気を使っている人もいる。ただ、ドラマみたいに華やかな人たちが次々と現れる場所ではない。そもそも、そんなにキラキラしていて、恋人も生活も充実している人なら、婚活市場に来る必要がないのだと思う。

ここでいう「キラキラ」は、容姿の話だけではない。会話が自然で、他人との距離感をわきまえ、仕事や趣味があり、生活もそれなりに整っている。そういう人は婚活をしていても、早い段階で誰かと付き合い始めて市場からいなくなる。残るのは、何かしらの事情を抱えた人だ。年齢、収入、恋愛経験、家族との関係、仕事の不安、あるいは単純に人付き合いが苦手ということもある。男女どちらにもいる。

なのに、婚活をしている人同士で相手を評論家のように評価してしまう。服が古い、会話がつまらない、店員への態度が悪い、年収が足りない、気が利かない。もちろん最低限の礼儀や清潔感は大切だし、合わない相手を断る自由もある。でも、相手の欠点を数え上げるほど、自分が市場の外側にいるような気分になるのは危険だと思う。ブラック企業をネットで批判し続けながら、就職活動には行かない人に似ている。正論を言うことと、自分が選ばれることは別問題だ。

特に40代以降になると、結婚したい理由も変わってくる。恋愛への憧れより、親を安心させたい、世間体が気になる、老後が不安、病気になったときに頼れる人がほしい、という事情が大きくなる。子どもを望むかどうか、住む場所、介護、家計、仕事。若いころなら勢いで流せたことを、全部考えなければならない。キラキラしている場合ではなく、地に足をつけて話し合う段階だ。

一方で、女性は身なりを整えて来る人が多いのに、男性は服装や髪、体臭、食事の作法などに無頓着な人が目立つ、という話もある。これは実際にそう感じる人がいても不思議ではない。ただ、そこから男性全体を決めつけたり、女性は皆まともだと言い切ったりすると、また別の偏見になる。見た目が普通でも共同生活に向かない人はいるし、恋愛経験が多くても、相手からもらうことばかり期待している人はいる。結局は性別より個人の問題だ。

「異性と暮らすくらいなら、仲のよい同性とシェアハウスをしたほうがいい」という意見も分かる。孤独を避ける方法は結婚だけではないし、同性同士で支え合って暮らす選択肢がもっとあってもいい。ただ、共同生活は同性なら自動的にうまくいくわけではない。家事の分担、金銭感覚、生活音、病気や介護のときの対応。長年の友人でも、同居して初めて分かることは多い。夫婦だけが優遇されている法制度も含め、考えるべき問題はあるが、「同性なら楽」と単純化はできない。

婚活市場を敗者復活戦とか、売れ残りの集まりと呼ぶ人もいる。そういう言葉は刺激的だけれど、そこで動いているのは、誰かと暮らしたい人、ひとりの将来が不安な人、もう一度やり直したい人たちだ。年齢を重ねてから恋愛や再婚をする人もいる。若いころに結婚するのが合理的だった時代があったとしても、今の人生がそこで終わるわけではない。

婚活は、相手を探す場所であると同時に、自分が他人と暮らせるのかを確認する場所でもある。理想を持つのはいい。でも相手を減点し続ける前に、自分も誰かにとっての「ちょっと難しい人」かもしれないと考えたほうがいい。キラキラしていなくても、食事をして、くだらない話をして、困ったときに助け合える相手が見つかれば、それで十分ではないか。幸せは、値札やランキングで決まるものではない。