最近、エヴァとナデシコの差について考えていた。どちらも90年代のロボットアニメで、放送時期も近く、ナデシコには「次のエヴァ」みたいな期待が乗っていた記憶がある。でも、いま振り返ると、この二本を同じ物差しで比べること自体が少し違う気がする。
ナデシコは、かなり正統派の「アニメ好きが好きなアニメ」だった。ゲキガンガーをはじめ、昔のロボットアニメ、SF、オタク的なパロディやお約束をおもちゃ箱みたいに詰め込んでいる。前半は明るくて、キャラクターも立っていて、毎週見るにはちょうどいい温度だった。ルリルリやユリカを見て、好きなキャラを応援する楽しみもある。ゲームやスパロボ経由で知った人が多いのも納得できる。
ただ、その楽しさはある程度、アニメやロボットものの文脈を知っていることが前提だった。ゲキガンガーの時点で、一般層はかなりふるい落とされる。ナデシコがエヴァの影響を受けているとか、エヴァの取りこぼした層を狙ったとかいう話は分かるのだけれど、結果としては「アニメの中でよくできた作品」に収まった印象がある。劇場版で急にシリアスになり、ユリカやアキトにかなり苛烈な運命を背負わせたのも含めて、続きを見せてくれという気持ちは今でもある。
一方のエヴァは、最初から「これは何かあるぞ」という見せ方をしていた。OPからして謎めいているし、敵も組織も機体も、説明されそうで説明されない。シビアな世界観の中に変なギャグが挟まるのも、ナデシコとは逆方向の効果を出していたと思う。ロボットアニメとして見れば、主人公がいつまでもうじうじして、早く乗って戦えよと思う場面もある。それでも、分からないものを分からないまま抱えさせる力があった。
そして何より、エヴァはアニメを普段見ない人に届いた。もちろん最初から誰もが見ていたわけではない。地域によってはテレ東が映らず、放送自体がなかったり、一年遅れだったり、知り合いから借りた画質の悪いVHSで見たりした人もいる。リアルタイムで最終回を見られなかった人も多いはずだ。それなのに、放送終了後の再放送、映画、漫画、雑誌、考察本、口コミが時間差で広げていった。
当時小学生だった人が、中学生になって映画を見に行き、プラモデルを買う。深夜の再放送を、普段アニメを見ない親が見ている。職場の非オタクがアニメの話をしていたかはともかく、綾波やアスカ、ネルフのマークくらいは知っている人がいる。これはナデシコとは違う広がり方だった。社会現象という言葉を使うなら、やはりエヴァの方だろう。
エヴァは、バブル崩壊後の空気や、先行きの見えない感じにも妙に合っていた。特撮や映画のような構図、衒学的な設定、思わせぶりな演出で、見る側に「自分だけが何かを読み解けるかもしれない」と思わせる。テレビ版の最後や旧劇で、すっきりしないまま終わったことさえ、考察や議論を生む燃料になった。きれいに完結していたら、ここまで長く残らなかったという意見も分かる。
だから、エヴァが偉くてナデシコが下という話ではない。エヴァはアニメの外へ出て、アニメを見ない人まで巻き込んだ作品。ナデシコはアニメやオタクの文脈を知っている人に、より直接的に楽しさを渡した作品。エヴァがトラウマや謎の作品なら、ナデシコはエンタメと内輪の愛情でできた作品だ。
結局、差は人気の数字だけではなく、届いた場所の違いなのだと思う。エヴァはそれ以前とそれ以後を作った。ナデシコは、それまでのオタクアニメの流れを受け取り、別の形で完成度を上げた。どちらも今なお語られている時点で十分すごいし、比べるなら勝ち負けではなく、何を見ていた人の記憶に残ったのかを比べるべきなのだろう。ちなみに自分は、どちらも好きだが、毎週楽しみに見るならナデシコ、後から何度も考えてしまうのはエヴァ、という感じである。