最初に言っておくと、あの記事を書いたのは俺です。たぶん。いや、正確には俺が考えたお題を、俺が使ったAIに文章として整えてもらって、俺が少し直して投稿した。だから「全部AIが書きました」と言うのも違うし、「俺の文章です」と言い切るのもなんとなく違う。その中途半端さが、今回いちばん面倒なところだった。
きっかけは、死ぬまでに観るべき映画を二十本くらい挙げてくれ、という話題を見かけたことだった。映画はそれなりに観る。年間百本を目標にしていた時期もあるし、観た作品の感想をメモしていた時期もある。でも、いざ自分で二十本を選べと言われると、これが意外と難しい。好きな映画、他人に勧めたい映画、映画史的に重要な映画、今の自分に効く映画は、全部別の棚に入っているからだ。
そこで、手元にあった記録や、自分が普段好んで観る傾向をざっくり伝えて、候補を出させた。何度かやり取りしているうちに、ショーシャンクの空にやスタンド・バイ・ミーみたいな、誰でも知っている作品から、少し古い作品まで、それらしい二十本が並んだ。ニュー・シネマ・パラダイスがないのはどうなんだとか、年間百本観る人間がその順位にするかとか、いろいろ言われていたけど、まあそういう違和感も含めて面白かった。
文章を読んでいて、自分でも少し笑った箇所がある。「実際、脳内を覗かれたかと思うラインナップだった」という一文だ。これは完全に俺の失言だった。AIに選ばせた結果を見て、思ったより自分の好みに近いな、という意味で書いたのだが、後から読むと、まるで自分の頭の中をAIに見抜かれて感動している人みたいだ。しかも、その一文のせいで、AIが作ったリストを自分の魂の告白として売り出しているように見える。そう見えるのは当然だと思う。
そして記事は思った以上に読まれた。ブックマークが増え、映画のタイトルが並び、知らない人たちがそれぞれの二十選を語り始めた。俺が期待していたのは、まさにその流れだった。誰かのリストに「それならこれも」と言い、別の人が「いや、自分はこっちだ」と返す。政治や炎上や、誰かを叩く話ではなく、ただ映画の話が続いている。その光景は普通に楽しかった。
だから、そこで黙っていればよかった。目的は達成されていた。ところが俺は、種明かしをしたくなった。これはAIを使って書いた、みんなは文章に釣られた、俺は混沌の配達人だった、みたいなことを言いたくなった。書いているときは、ちょっとしたオチのつもりだった。読者を驚かせ、仕掛けを説明し、自分の作戦勝ちを宣言する。今思うと、ただの後出しだった。
釣りという言葉も、たぶん間違っていた。誰かの人生相談を本気で心配させて、最後に全部嘘でしたと言うなら、まだ釣りと呼べるのかもしれない。でも、映画のおすすめを並べただけの記事で、読者は何か損をしたわけではない。好きな映画について話すきっかけになっただけだ。そこに「実はAIでした」と札を立てても、驚きより先に、だから何、が来る。
コメントを読んでいると、AIだと最初から気づいていた人もいたらしい。文章の整い方や、選出の無難さや、感想の均一さでわかる人にはわかる。逆に、AIかどうかはどうでもよくて、映画の話ができるならそれでいいという人もいた。いちばんありがたかったのは、正体の議論をせずに自分の好きな映画を書いてくれた人たちだ。俺がやりたかったのは、結局そこだった。
一方で、AIを使ったことを自慢しているように見えるのも理解できる。実際、少し自慢したかった。自分の文章力ではなく、AIの文章力と、話題の流れと、偶然のタイミングが重なって伸びたものを、まるで自分の手柄のように語っていた。バズるコンテンツの九割はちょうどいい嫌味でできている、なんて書いたけれど、あれは分析というより、自分がうまくやったと思いたい人間の言い訳だった。
AIが作った文章に人間が反応し、人間の反応を見てまたAIに文章を直させる。そのうち、どこまでが誰の言葉なのかわからなくなる。今回も、俺が材料を出し、AIが候補を整理し、俺が選び、AIが文章にし、読者が勝手に続きを書いた。派生記事やブックマークのほうが、元の記事よりずっと面白かったという感想もあった。たぶんそれが本当だ。俺は舞台を作っただけで、実際に劇を始めたのは読者だった。
なのに、舞台袖から急に出てきて「実は俺が仕掛け人です」と叫んだ。そりゃ、出しゃばるなと言われる。AIくんからのお題にみんなで遊んでいたのに、脇役の俺が目立とうとした。かっこ悪いし、ダサいし、普通に恥ずかしい。
それでも、あの記事をきっかけに、誰かが久しぶりに映画を観たり、友人に作品を勧めたり、知らない人の二十選を眺めたりしたなら、それは悪いことではなかったと思っている。スタンド・バイ・ミーが入っていない理由を聞かれたので答えると、候補にはあったが最後に落ちた。今なら入れる。ニュー・シネマ・パラダイスも入れる。いや、二十本に絞れないなら、最初から二十本にしなければいい。
もう一度書くなら、種明かしはしない。AIを使ったことも、使わなかったことも、記事の外側に置いておく。読んだ人が「この映画が好き」と言いたくなったなら、それで十分だ。増田に本気になるなと言いながら、いちばん本気になっていたのは俺だった。映画の話をしたかっただけなのに、いつの間にか、みんなを手玉に取ったという話にすり替えていた。
次に何かを書くときは、最後にジョーカーの正体を名乗ったりしない。混沌の配達人でもない。普通に、好きな映画の話をする。もしそれで誰かが「それならこの映画も観て」と書いてくれたら、今度は黙ってそのコメントを読む。たぶん、そのほうがずっと楽しい。