「托卵」を女性の性犯罪として定義したら、性犯罪者の男女比って一気に変わるんじゃないか、という話を見かけた。なるほどと思ったので、少し考えてみる。
ここでいう托卵は、鳥の生態そのものではなく、配偶者以外との間にできた子どもを、配偶者の子どもだと偽って育てさせる行為のこと。言葉が正確かどうかはともかく、問題にしたい事実はわかると思う。
これ、単なる不倫や夫婦げんかで済ませるには、被害が大きすぎないか。夫は自分の子だと信じて、何年も、場合によっては何十年も、生活費を出し、世話をし、愛情を注ぐ。その前提が、実は最初から嘘だったと知る。失うのはお金だけではない。自分の人生の一部、親になる機会、家族だと思っていた関係、その全部が崩れる。
「性犯罪ではなく詐欺だろう」という意見はもっともだと思う。性犯罪という言葉は、性行為や身体、性的な意思決定への侵害を指すものだから、養育や親子関係を偽る行為をそこに入れるのは、分類としてはかなり無理がある。犯罪にするとしても、詐欺、身分関係の詐称、人格権侵害など、別の形で考える方が自然だろう。
ただ、性犯罪の定義を広げた場合の男女比を考える思考実験としては、そんなに変な話でもない。現在、表に出ている性犯罪は男性加害者が多い。けれど、女性が加害者になりうる行為が、別の名前で処理されている可能性はある。もちろん、だからといって托卵を性犯罪に入れれば男女比が逆転する、という結論にはならない。そもそも何件あるのか、故意なのか、父親とされる男性が本当に知らなかったのか、調査された数字があるのか、何もわかっていないからだ。
DNA検査で父子関係の不一致が見つかる割合と、母親が故意に嘘をついていた割合は別物だ。疑いを持った人だけが検査する調査なら、当然数字は偏る。出生数の一、二パーセントという仮定を置いて、年間何万件と計算し、性犯罪の認知件数と比べるのも乱暴だと思う。分母も定義も違うものを並べても、議論の材料にはなりにくい。
それに、故意の托卵なら、関係した男性を無視できない。夫に隠していた女性だけでなく、相手の男性も事情を知っていたなら、少なくとも共同して嘘をついたことになる。ただし、相手の男性もまた、女性から既婚であることや妊娠の事情を隠されていた可能性はある。すべてを男女一組の共犯として数えるのも、逆に女性だけを加害者として数えるのも、現実を単純化しすぎている。
さらに難しいのは、子どもの扱いだ。母親を刑務所に入れれば、子どもが救われるとは限らない。夫も、血がつながっていないと知った瞬間に、愛情まで消えるとは限らない。長年育てた子どもに罪はないし、法制度が守るべきなのは、まず子どもの生活の安定だろう。DNA上の親子関係だけを絶対視すれば解決する、という話でもない。
一方で、被害を受けた夫が「知らなかったのだから我慢しろ」と扱われてきた部分は見直されてもいい。嫡出推定や親子関係の否認に期限があることも、事情によっては不合理に感じる。出生時の検査を義務化する案にも、プライバシーや費用、誤判定、家族関係への影響など問題はあるが、議論する価値はあると思う。
結局、托卵を性犯罪と呼ぶかどうかは、被害の深刻さとは別の問題だ。性犯罪に分類しないから軽いわけではないし、重い被害だから性犯罪にするべきだとも限らない。男女比を逆転させるための道具として犯罪類型を作るのではなく、誰が何を知っていて、誰にどんな損害を与えたのかを整理するべきだ。
個人的には、故意に親子関係を偽り、相手に長期間の養育や金銭の負担を負わせた場合は、民事上の不法行為だけでなく、刑事責任を問える余地があってもいいと思う。ただし、罪名は性犯罪でなくていい。被害を受けた夫、子ども、生物学上の父親、それぞれの事情を含めて考えないと、男女対立の燃料を増やすだけになる。