最近、アメリカで作られたドキュメンタリー動画を見るのがしんどくなってきた。

別にアメリカの作品が嫌いになったという話ではない。昔はむしろ好きだった。知らない国の街並み、高層ビル、夜の光、広い道路、乾いた声のナレーション。画面が次々に切り替わって、低い音楽が鳴って、専門家が暗い部屋で横からライトを当てられながら語る。そういう「海外のドキュメンタリーらしさ」に、以前はわくわくしていた。

でも最近は、雑踏やビルの映像を短くつないで、タイムラプスを挟み、急に早回しになって、またインタビューに戻る、という流れが始まると、内容より先に「ここで飽きさせないための演出が入ったな」と考えてしまう。あれはスピードランプというらしい。名前までついているのか、と思った。

何か重要なことが起きたから早回しになるのではなく、画面から目を離させないために早回しになる。短いタイムラプスが何本も入ったのに、話はほとんど進んでいない。映像としては派手なのに、見終わると何を見たのかよく分からない。そんな作品に当たることが増えた気がする。

インタビューと、何かしらの映像をザッピングするスタイルも苦手になった。何かが街を歩く映像だったり、再現ドラマだったり、意味ありげな手元のアップだったりする。インタビューの内容だけでは持たないから、隙間を映像で埋めているように見えてしまう。再現ドラマが低予算だと、さらに見ていてつらい。

もちろん、ドキュメンタリーに制作意図が入るのは当たり前だ。カメラを向ける時点で、何を撮るか、何を捨てるか、どの順番で見せるかを選んでいる。完全に中立な映像なんてない。その前提で見ればいい、という意見も分かる。

それでも、意図が見えすぎると疲れる。こちらを感動させよう、驚かせよう、怒らせよう、次の広告まで引き留めよう、という気配が画面から漂ってくると、題材そのものより制作側の手つきが気になってしまう。ドキュメンタリーなのに、映画の予告編をずっと見せられているような感じになる。

日本の番組が淡々としているかというと、もちろんそんなことはない。「ゆきゆきて、神軍」も「選挙」も、登場人物が強烈で、演出だって相当に入っている。でも、ああいう作品は演出が題材の面白さを隠していない気がする。人が変なことを言い、変な行動をし、そのまま画面に残る。作り手が「ここで笑ってください」と合図してこないところがいい。

「警察24時」の、路上でいきなり「お兄さん、どしたの?ここ路上だよ」と始まる感じも好きだ。整えられた導入ではなく、すでに何かが起きている。うまく撮れていなくても、音が割れていても、その場にいた人間の声がする。あの生っぽさには、タイムラプスでは代替できないものがある。

最近よく見るのは、ETV特集や「Dearにっぽん」、BS世界のドキュメンタリーあたりだ。BS世界のドキュメンタリーはアメリカ産に限らず、いろいろな国の作品を扱っているので、そもそも国単位で括るのが雑なのだろう。NHKが放送枠に合わせて編集している場合もあるし、単純に自分が見やすい作品を選べているだけかもしれない。

BBCの自然番組や歴史番組も、全体としては質が高いと思う。ただ、動物が決定的な瞬間に飛びかかったり、夕陽が信じられないほど美しく落ちたりすると、「そんなに都合よく撮れるものなのか」と疑ってしまう。アニマルプラネットやヒストリーチャンネルの、いかにも盛り上げますという編集が鼻につく日もある。

一方で、アメリカ産でも面白いものは面白い。「ボーイズ・ステイト」のように、参加者の振る舞いを追うだけで政治や社会の仕組みが見えてくる作品もある。フレデリック・ワイズマンのように、説明を抑えて場を観察する作品もある。そういうものまで一括りにして嫌うつもりはない。

結局、アメリカ産が悪いというより、自分が同じ型に慣れすぎたのだと思う。インタビュー、暗い部屋、重い音楽、都市のタイムラプス、意味深なナレーション。見始めて数分で次の展開が分かるようになってしまった。毎日コーンフレークを食べて飽きた、という例えがいちばん近いかもしれない。

本のほうが情報量が多いのか、と考えることもある。でも映像には映像の情報がある。同じセリフでも声色が違えば意味が変わるし、沈黙や視線や、その場の空気は文章だけでは伝わりにくい。だから映像をやめたいわけではない。

ただ、こちらを必死に画面へ縛りつけようとする映像からは、少し離れたい。夕陽をタイムラプスで十秒見るより、実際に一時間半かけて落ちていくのを眺めるほうが、たぶん今の自分には合っている。嫌になる前に自主的に離れる。それがコンテンツを楽しむための、いちばん簡単な方法なのかもしれない。