タイ映画を20本、題名に日本が出てくるもの、日本人が登場するもの、日本で撮られたものまで含めて並べてみた。もちろん、これで「タイ人は日本をこう見ている」と断定するつもりはない。同じ国の映画でも、作られた年代やジャンルが違えば、日本の置かれ方はかなり変わる。ただ、並べてみると、タイと日本の距離感が少しずつ変わってきたことは見えてくる。

まず避けて通れないのは、第二次大戦期の記憶だ。日本軍がタイに入ったこと、短い戦闘の後に通過を認める協定や同盟へ移ったことは、単純に「友好国だった」とも「一方的に占領された」とも言い切れない複雑さを持っている。タイ映画で日本軍が悪役になる作品があるのは当然だし、戦争を扱う場面では、日本という国家や軍隊が暴力の側に置かれることもある。一方で、そこに出てくる日本人全員が同じように描かれるわけではない。命令する側と巻き込まれた個人、加害する側と助けようとする側が分けて描かれることも多い。

このあたりを無視して「タイでは日本が好意的に見られている」とまとめると、かなり雑になる。逆に、戦時中の日本軍の行動だけを基準にして、現在のタイ人の日本観を説明するのも無理がある。歴史上の国家間関係と、映画の中の登場人物への感情は、重なりながらも同じものではない。

戦後しばらくの作品では、日本は遠い国、豊かな国、あるいは戦争の記憶を背負った国として現れる。日本人は観光客、技術者、雇い主、兵士など、タイ社会の外からやって来る人物であることが多い。そこで起きるのは、文化の違いによる衝突だったり、言葉が通じないことから生じる勘違いだったりする。けれど、対立したまま終わるより、相手の事情を知ることで少し関係が変わる、という筋書きも目立つ。

経済成長の時代になると、日本はさらに身近な存在になる。企業、工場、電化製品、旅行先としての日本。日本人は「遠い外国人」から、タイで働く人、隣に住む人、恋愛や家族の問題に関わる人へ変わっていく。日本は憧れの場所として登場することもあれば、物価の高さや仕事の厳しさ、上下関係の息苦しさを象徴する場所として登場することもある。便利で清潔で進んだ国、というイメージだけではない。

旅行映画や恋愛映画では、東京や雪のある地方都市、寺や温泉街など、日本の風景そのものが物語を動かす。タイの観客にとって、日本旅行は単なる観光ではなく、人生をやり直すための場所、失恋から立ち直る場所、家族と向き合う場所として描かれることがある。知らない国へ行く話に見えて、実際には「自分が何を望んでいるのか」を確かめる話になっている。

日本文化の受け入れ方も面白い。漫画、音楽、食べ物、ファッション、街の看板や鉄道などが、タイ映画の背景に自然に入り込んでいる。日本を説明するために出てくるというより、すでに生活の一部として映る。メッセージアプリやカードのような身近な道具にも、日本との接点がある。こうした日常的なつながりは、歴史を扱う戦争映画とは別の層で、日本への親しみを作っているのだと思う。

ただし、親しみがそのまま理解を意味するわけではない。日本人は感情を表に出さない、働きすぎる、規則を守りすぎる、というステレオタイプも繰り返し登場する。タイ人の側も、明るくてよく笑う、家族を大切にする、といった別の型にはめられることがある。映画は相互理解を描きながら、同時にわかりやすい国民性の記号も使う。この二重性があるから、単純な国際交流の美談だけにはならない。

日本の仏教や寺院が憧れの対象として語られることがあるのも、タイから見た日本の一面だ。両国とも仏教文化を持つとはいえ、教えや儀礼、寺の雰囲気は同じではない。似ているからこそ違いが目立ち、そこに旅行や学びのきっかけが生まれる。僧侶や宗教者が日本へ行き、タイとは異なる慣習に戸惑う話なら、異文化摩擦を笑いに変えながら、かなり本質的な違いも描けそうだ。

海外で有名な日泰関係の映画といえば、「戦場にかける橋」を思い浮かべる人も多いだろう。ただ、あれをそのままタイ映画の日本観の代表にしてしまうのは違う。日本軍の記憶を正面から扱う作品と、現代の恋愛や旅行を描く作品では、見ている時間も問題も違うからだ。20本を並べて感じたのは、日本が「善」や「悪」の一語で固定されているのではなく、過去の記憶、経済的な近さ、観光への憧れ、個人同士の好意や反発が重なった存在として映っていることだった。

タイの人が日本に比較的よい印象を持っているように見える時、それを当然だと思わない方がいい。歴史の記憶が消えたわけではないし、作品によっては日本が明確に加害の側へ置かれる。反対に、日本人個人の親切さを描く作品があるからといって、国家間の問題が解決したわけでもない。映画は、その両方を同じ画面に置ける。

旅に出るときも、映画を見るときも、完全に知らないものより、半分だけ知っているものの方が気になる。日本はタイにとって、遠い異国でありながら、すでに身の回りに入り込んでいる。その近さが、歴史の重さを消すのではなく、むしろ昔の出来事と今の生活を同時に考える入口になる。20本から見えた日泰関係は、友好か敵対かではなく、忘れられない過去を抱えたまま、便利さや好奇心や個人的な出会いによって更新され続ける関係だった。