令和にスーパーリアル麻雀復活の報を受けて
スーパーリアル麻雀が復活するらしい、という記事を見かけた。
懐かしいなと思った。といっても、僕は当時あのゲームをまともに遊べていたわけではない。中学生の僕にとって、ゲームセンターの百円は大金だった。自転車で二十分くらいかけて通って、筐体の後ろから画面を眺めて、誰もいなくなった隙に座る。そんな感じだった。
ある日、友達と何人かで近所のゲーセンに行った。たしか五人くらいで、みんなから少しずつ金を出し合った。誰が最初にやるかで揉めた気もするけど、結局、僕がコインを入れることになった。
当時の僕は麻雀のルールなんてほとんど知らなかった。脱衣麻雀をやっている中学生が麻雀を覚えるのか、麻雀を覚えた中学生が脱衣麻雀をやるのかは知らない。僕の場合は完全に前者で、役も点数もよくわからず、画面の指示に従って牌を捨てていた。
コインを入れて、スタートボタンを押す。
いきなり女の子が「お姉ちゃん、助けてー」みたいなことを言った。いや、言ったかどうかはもう覚えていない。ただ、いきなり対局が終わったことだけは覚えている。
相手の手牌が開かれて、そこに並んでいたのは天和だった。
天和という役を知ったのも、そのときだったと思う。親の配牌十四枚が最初から完成している、ほとんど起こらない役。そんなものを、ゲーム開始直後に食らった。
僕は「え?」となった。友達も「は?」となった。ゲームオーバーの表示が出た。百円は、僕がボタンを一回押しただけで消えた。
麻雀の天和ならすごい。現実なら一生に一度見られるかどうかという奇跡だ。でもゲームセンターの脱衣麻雀で、それをありがたがる余裕はなかった。これは麻雀なのか。これは勝負なのか。僕らは何をしに来たのか。
その帰り道、少年はずっと同じことを考えていた。
天和はないだろう。さすがに、天和はないだろう。
後日、別の友達が「仇を取ったる」と言って同じ台に座った。彼は僕らより麻雀がうまかった。安い役で早く上がるのがコツだとか、相手が強くなる前に勝つんだとか言って、あっという間に先へ進んでいった。
僕にはその理屈がよくわからなかった。けれど、彼が勝つたびに、僕らは自分のことのように喜んだ。百円を失っただけなのに、妙に大きな借りを返したような気持ちになった。
あの頃のゲームセンターには、対戦ゲームやメダルゲームや、よくわからないゲームがいろいろ置いてあった。僕らはいつも金がなかったから、実際に遊ぶより後ろで見ている時間のほうが長かった。上手い人のプレイを眺め、順番待ちの人の背中を眺め、誰かが理不尽な役満を食らうところを眺めていた。
そして、たまに自分の番が来る。
百円を入れる。画面の女の子が何か言う。牌を捨てる。負ける。財布が軽くなる。帰る。
それでも、また行った。負けたまま帰るのが悔しかったし、次は勝てるような気がした。コンティニューをねだるような絵が出てくると、友達と笑いながら、それでも財布の中身を確認した。あの百円には、今よりずっと重さがあった。
今度の復活作では、麻雀部分はまともになっているのだろうか。さすがに開幕天和はないのだろうか。あっても、それはそれで伝統なのかもしれない。
ゲームセンターで天和を食らったことのある人は、たぶんそれぞれの百円と、それぞれの帰り道を覚えている。
僕らは理不尽さを噛み締めながら、少しずつ大人になっていった。
とっぴんぱらりのぷう。