昔、とある女性コスプレイヤーに粘着して、開示請求をされて慰謝料を支払ったことのある女です。

いきなり何を言っているんだと思われるだろうけど、今回は「りくりゅうを叩いている女」の心理を、当事者として説明してみようと思う。私自身、今でも完全に克服したわけではないし、これがすべての人に当てはまるとも思っていない。あくまで私の場合の話。

私は両親がかなり厳格で、しかも夫婦仲が悪かった。家の中では、誰かの機嫌を損ねないこと、目立たないこと、恥ずかしいことをしないことが最優先だった。親密さや性的なものを表に出すのは下品で、恋愛や結婚について浮かれた態度を取るのはみっともない。そういう空気の中で育ったので、「人前でいちゃつく」という行為に、普通の人より強い嫌悪感を持っていた。

最近知ったことですが、普通の人は駅前とかでカップルが公然とイチャついていても、殺意を抱かないそうですね。私は平静を装っているだけで、心の中では「やめろ」「人前でやるな」「恥ずかしくないのか」と思っていた。自分でもかなり変だとは思っていたけど、みんなも同じように感じていて、ただ大人だから我慢しているのだと思っていた。

りくりゅうを知ったのは、フィギュアスケートのファンだったからではない。ニュースやSNSで目にするようになって、二人の距離が近い、親密そうだ、という印象を持った。ペア競技なのだから当然の動きもあるし、実際には他のペアと比べて特別に何かをしているわけではないのかもしれない。でも私には、演技やインタビューでの雰囲気が「人前でいちゃついている」ように見えた。

そして、二人の関係が話題になったとき、猛烈に腹が立った。

「ペアは恋人ではない」「勝手に恋愛関係だと決めつけるな」という空気があったのに、結局そういう関係だったのか。隠していたのか。私たちをからかっていたのか。そういう怒りだったと思う。もちろん、二人が誰と付き合おうと私には関係がない。今ならそう言える。でも当時は、二人の自由な振る舞いが、自分に向けられたもののように感じられてしまった。

私は自分ができないことを、他人が平然とやっているのが許せなかった。

私のようなデブスが人前でいちゃついたら、すぐに晒されて、笑われて、ずっとネットに残る。そんなことをしたら人生が終わる。なのに、きれいで才能があって、祝福される立場の人たちは、同じようなことをしても「素敵」「お似合い」と言われる。ずるい。私には許されなかった自由を、あなたたちは持っている。そういう嫉妬は、たしかにあったと思う。

ただ、単純に「恋人がいて羨ましい」という嫉妬とは少し違う気がする。私には「自由に振る舞えて羨ましい」「自分を許せて羨ましい」という感情だった。自分が抑圧してきた部分を、他人が何のためらいもなく表に出している。それを見ると、自分の今までの我慢まで否定されたような気持ちになった。

コスプレイヤーに粘着していたときも同じだった。

「そんな格好をするのは作品やキャラクターに失礼」「ゲームの制作者に失礼」「周りの人が迷惑している」。自分はファンのため、キャラクターを守るため、みんなのために注意しているのだと本気で思っていた。でも、実際にはその人の行動を見て、自分が同じことをしたらどうなるかを脳内でシミュレーションしていた。恥ずかしい。怖い。こんなことをしたら笑われる。そういう感情を相手に投影して、相手の行動をやめさせようとしていた。

自他境界があいまいだったのだと思う。

他人の行動を「その人が選んだこと」として切り分けられず、自分がやったように感じる。自分が耐えられないものは、他人もやってはいけない。自分が守っているルールは、みんなも守るべき暗黙のルール。私が恥ずかしいと思うものを平気でやる人は、和を乱している悪い人。

本当は、そんな機密文書のような「暗黙のルール」がこの世に存在するわけではない。自分の家で教えられたローカルルールを、社会全体の正義だと思い込んでいただけだった。

私は自己肯定感が低く、精神的には潔癖で、自分を許せないのと同じくらい他人にも潔癖さを求めていた。自分に許している自由の量しか、他者の自由を尊重できなかった。だから、自由にしている人を見ると、羨ましいより先に「そんなことをしてはいけない」と攻撃性が立ち上がった。

防衛反応が攻撃になっていたのだと思う。

それに気づけたのは、開示請求を受けて、慰謝料を払うことになったからだ。相手にとっては、私の家庭環境も、抑圧されて育ったことも、自己肯定感の低さも関係ない。ただ、私は他人を傷つける言葉を書き、粘着した。その事実だけが残る。

精神科にも通ったし、認知行動療法的なこともやった。自分の中に「普通はこう」「みんなそう思う」「この人は迷惑をかけている」という思い込みがあること、それが事実ではなく自分の解釈であることを、何度も確認した。

怒りや嫌悪感が湧くこと自体は、すぐには止められない。人前でいちゃつくカップルを見て、今でも嫌な気持ちになることはある。でも、その感情を相手にぶつける必要はない。見なければいいし、SNSなら閉じればいい。自分の中に湧いた感情は、自分のものとして処理しなければならない。

りくりゅうが本当に「いちゃついている」のかどうかも、今ではよく分からない。そう見える人がいることは否定しないけれど、それは私の認知であって、二人が悪いという話ではない。恋人であろうが、ビジネスパートナーであろうが、結婚しようがしまいが、私の人生には何の関係もない。

私を含め、誰かを叩きたくなったとき、その正義感が本当に相手のためなのか、自分の中の羞恥や恐怖を処理するためなのか、一度考えてみてほしい。内心で何を思うかは自由だけど、言葉にして他人へ投げれば、それはもう自分だけの問題ではない。

「みんなのため」「作品のため」「周りが迷惑している」と言いながら、実際には自分を守るために誰かを殴っていることがある。私がそうだった。

だから、りくりゅうを叩いている人が全員同じ理由だとは思わない。単純な嫉妬の人もいるだろうし、発表までの経緯に納得できない人もいるだろうし、ただのアンチやインプレッション稼ぎもいる。でも、私のように、自分の抑圧や禁止を他人に重ねて、相手を悪者にしないと耐えられない人もいる。

もしそうなら、相手を変えようとする前に、自分が何を怖がっているのかを見た方がいい。自分に許していない自由は何なのか。誰に怒っているのか。本当にその二人に怒っているのか。

私はまだ途中です。自分を完全に好きにはなれていないし、嫌なものを見たときに心がざわつくこともある。それでも、他人を攻撃する前に一度止まれるようにはなった。二人が幸せそうにしていることを、私への攻撃だと思わずに済む日が、少しずつ増えている。

りくりゅうには何の責任もない。私の中の問題を、二人に背負わせてはいけなかった。