私は腐女子なので、現実の男がだいたいホモに見える。

もちろんここでいう「ホモ」は、男性同性愛者という意味ではない。正確に言えばホモソーシャルとか、ブロマンスとか、男同士の連帯とか、そういうものを全部ひっくるめて、私は便宜的にホモと呼んでいる。正確な言葉を使えという人はいるだろうけど、これは学術論文ではなく、私の中で発生している雑な感想の話なので許してほしい。

男って、女が好きだと言いながら、実際には女そのものにはあまり興味がないことが多くない?

たとえば婚約指輪を見せてくる男がいる。こっちが「それ、素敵ですね」と言っても、相手の女性がどういう人なのか、何が好きなのか、どこに惹かれたのか、そういう話はほとんどしない。代わりに、どの店で買ったとか、いくらしたとか、周囲からどう見られるかとか、自分がどれくらいちゃんとしている男に見えるか、という話ばかりする。

お前が愛しているのは彼女ではなく、彼女を得た自分を評価する同性の目では? 彼女はトロフィーで、男同士の競争に勝った証明書では? ホモじゃん。

婚活しているのに眉毛を整えない男もいる。女性と付き合いたいなら、相手にどう見えるかを少しくらい考えればいいのに、そういう努力をしない。それでいて、男友達と同じ趣味を持ち、同じ店に行き、同じような服を着て、同性から「お前はわかってる」「お前はいい奴だ」と認められることには異様に熱心だったりする。

女性からの評価を得たいのではなく、男の集団の中で対等だと認められたい。女に好かれることより、男に舐められないことのほうが重要。そういう人を見ると、女性を恋愛対象として見ているというより、男社会に参加するための道具として見ているように感じる。

ヘテロセクハラをする男は、ちゃんと誰も見ていない場所を狙って女に話しかける。これはこれで最悪だけど、少なくとも女体や女に関心はあるらしい。一方で、エレベーターで二人きりになっても会釈しかしない男が、男同士では肩を組んで騒いでいる。私に対する興味は一切ない。それはわかる。でも、じゃあお前にとって大切なのは何なのかというと、やっぱり女ではなく男同士の関係なのではないか。

「私と仕事、どっちが大事なの?」という問いがある。「私より友達付き合いが大事なのね」という愚痴もある。あれは単に恋人を大切にしろという話ではなく、男の中には、女との精神的な関係よりも同性の仲間内での地位や評価を優先する人がいる、という話だと思う。

女を愛しているように見えて、その実、女を使って男同士の序列を確認している。女遊びの武勇伝で盛り上がる集団も、女が好きだからというより、「俺たちは女を扱える男だ」とお互いに確認したいだけに見える。女は話の中心にいるようで、実際には男同士の会話を成立させる小道具になっている。

これはBLを読んでいると非常によくわかる。

女の子大好きと言いながら、決まった相手は作らず、いつも同じ男友達とつるんでいる男キャラ。女を口説くことより、ライバルや先輩や上司から認められることに必死な男。男同士でしか通じない冗談、男同士でしか共有できない秘密、男同士でしか成立しない忠誠心。こういうものを見ると、ああ、これはBLにしやすいなと思う。

ここで言っておきたいのは、腐女子は原作にない恋愛関係を捏造するが、関係性の根幹そのものを捏造したわけではないと強く信じている、ということだ。性愛は妄想かもしれない。でも、二人が互いを特別扱いしていること、同性の相手を人生の中心に置いていること、女より男を選ぶ瞬間があることまで、全部が存在しないとは思っていない。

木曾義仲と今井兼平と巴御前の話もそうだ。義仲が最後まで共にいる相手として兼平を選び、巴には逃げろと言う。巴にはその先の人生があるから、という解釈もできる。でも、乳兄弟である兼平は、義仲が死ねば追手にかかって殺されるだけなのだから、逃がすという選択肢がなかったのだ、という反論もある。もちろん史実と物語は別だし、巴の存在そのものが創作だという話もある。

それでも、あの三人の関係を見ていると、男女の恋愛だけを中心に置く読み方ではこぼれてしまうものがある。女を生かして返すことと、男同士で最後まで死ぬこと。そこにある忠義や連帯や、男が男に向ける巨大な感情を、私はついBLの文法で読んでしまう。

ゴールデンカムイのキロランケだって、尊敬している同志の男の心変わりの理由を知りたくて、相手と同じように家庭を持とうとする。これ、下手な恋愛感情より重くない? もちろん恋愛ではない。恋愛ではないけど、恋愛ではないからこそ、なおさら何なのかわからない。男同士の友情という言葉だけでは軽すぎる、でも恋愛と呼ぶのも違う。腐女子はそういう巨大不明感情を、何とかして読もうとする。

たぶん男は、男にしか抱かない感情を持っている。それはLOVEではないし、名前もついていない。だから女は、とりあえずLOVEに変換して解釈する。男同士の友情、尊敬、嫉妬、忠誠、承認欲求、独占欲、競争心。そういうものが全部絡まっているのを見ると、私は「ホモじゃん」と言いたくなる。

ただ、これは男が本当に男性同性愛者だと言いたいわけではない。むしろ、同性愛者と、男同士の社会的な結びつきを混同するのは失礼だと思う。実際のゲイの人が、日常生活でそんなに都合よくBLのような関係を作っているわけではないし、BLはおとぎ話より非現実的だという意見もわかる。ホモソーシャルとホモセクシャルは別物だ。

別物なのに、私はわざと混同している。

なぜなら、男同士の神聖な関係、男同士の友情、男同士の連帯だけは性欲から切り離された尊いものとして扱われ、女との関係だけが恋愛や結婚や繁殖のためのものとして扱われる、その感じが嫌だからだ。男が女を好きだと言えば自然なこととして受け入れられるのに、男が男を最優先すると、それは友情、仕事、仲間、義理、社会性と呼ばれる。あまりにも便利な名前が用意されている。

女が同性からの評価を気にして、同性同士で集まって、恋人や夫より友達を優先したら、すぐに「レズ」とは言われない。なのに男同士が親密だと、冗談として「お前らホモかよ」と言われる。つまり男自身も、男同士の親密さをどこかで性的なものとして恐れているのではないか。自分たちの関係が、女を媒介にしないと正当化できないことを知っているから、先に笑いにしてしまう。

私は、現実の男が嫌いなのに二次元の男同士は好き、という腐女子の気持ちも少しわかる。現実の男は、女の気持ちを想像せず、女を雑に扱い、男同士の評価だけを気にしていることがある。そんな男たちを見ていると、男同士で勝手に愛し合っていればいいのにと思う。一方、二次元の男たちは、互いのことを見ている。相手のために苦しみ、相手の言葉を覚えていて、相手に認められるために変わろうとする。

現実の男にも本当はそういう感情があるのかもしれない。ただ、それを友情とか責任とか仕事という名前で隠している。腐女子は、その隠された部分を勝手にめくって、これは愛ではないのか、性愛ではないだけで愛ではあるのではないか、と考える。

だから私は、現実の男がホモに見える。

正確には、女を愛することより同性から認められることを優先し、女を男同士の競争のための道具にし、男同士の関係に人生を捧げている男がホモに見える。

ホモソーシャルじゃん、と言われれば、その通りだと思う。でも私はたぶん、ホモソーシャルという言葉だけでは足りないと思っている。そこにある執着や嫉妬や忠誠や、女には向けられない熱量を、もっと露骨な言葉で呼びたくなる。

もちろん、私の解釈が正しいとは思っていない。友情は存在するし、愛と性は分けられるし、男が仲間を大切にすること自体は悪くない。私が勝手にそう見て、勝手にBLとして楽しんでいるだけだ。

ただ、男が「女が好き」と言いながら、実際には男の目ばかり気にしているのを見ると、どうしても思ってしまう。

お前にとって大切なのは、女ではなく、同性のお友達と同じことをして、対等だと評価されることですよね?

ホモじゃん。