もののけ姫のラストさ、シシ神の首を返したあとに山や野原へ一気に緑が戻ってくるところじゃなくて、その直前の、デイダラボッチが倒れ込んで黒い液体みたいなものが山を覆っていく場面のことなんだけど、あれって土砂崩れのイメージも入ってるのかな。

前に見たときは、ただシシ神の力が暴走して、森が死んでいく描写だと思ってた。でも、たたら場が鉄を作るために木を伐り、山林を壊していたことを考えると、開発で崩れやすくなった山が一気に崩壊する、みたいな現象にも見える。自然を利用していた人間の営みが、最後には人間のいる場所まで押し寄せてくるというか。

そういえば前半で、ジコ坊が村が洪水か地すべりかでなくなったような話をしていたし、アシタカたちが野営している場所にも、洪水か鉄砲水で倒れたらしい巨木があった。あのへんを思い出すと、いきなり出てきた表現ではなくて、最初から水や山の崩壊みたいなものが画面の隅に置かれていたのかもしれない。

ただ、土砂崩れにしては動きが遅いとか、実際の山津波なら走って逃げられる速度じゃないとかいう話もあって、そこは現実の災害をそのまま描いたものではないんだろうな。ダイダラボッチという巨大な存在が大地を動かして、山や湖の形まで変えてしまう。その一部として、山が崩れ、土地が押し流される感じを見せた、と考えるとしっくりくる。

人間が自然のバランスを崩すと、自然から大きなしっぺ返しが来る、という読みはかなり一般的だと思う。森林開発でも温暖化でも、創作の中では似た形の不安として表れるんだろう。呪いについても、乙事主から受けたものと同じ黒いものが広がっていくから、病気や感染の比喩に見えるという意見があった。森を開発することで、普段は接触しないものに触れてしまう、という読みもできそうだ。

でも、何でも現実の災害に置き換えればいいわけではない。土砂崩れだと思って見ればそう見えるし、自然の逆襲だと思って見ればそう見える。映画のラストが強いのは、ひとつの答えを説明してくれるからではなくて、そういう現実の怖さを、神話みたいな姿で感じさせるところなのかもしれない。

それにしても、こういう話を聞くとまた見返したくなる。DVDを借りても再生する機械がないので、見る方法をどうにかしないといけない。ラストというよりクライマックスの話ではあるけど、シシ神の首が戻って、荒れ果てた土地に緑が蘇るところまで含めて、破壊と再生が一続きになっているのがやっぱりすごい。人間も森も、元のままには戻れないけど、それでも共に生きるしかない、という終わり方なんだよな。