『世界99』を読んだ。正確にはオーディブルで聴いた。長いし、ずっとしんどい話なので、紙で読んでいたら途中で閉じていたかもしれない。でも耳で聴くと意外に入ってきて、結局ほとんど一気に最後までいってしまった。読後感は、面白かった、だけでは済まない。面白いけれど、かなりグロい。何がグロいのかというと、単に暴力や性の描写が過激ということではなく、登場人物たちがあまりにも当然のように他人を消費し、支配し、傷つけ、そのことを世界の仕組みとして受け入れているところだ。

この小説について、男性が悪魔のように描かれすぎている、という感想を見かけた。これはかなり分かる。主人公の空子が出会う男性たちは、乱暴で、幼稚で、欲望に忠実で、責任を取らない。性行為の場面でも、その後の関係でも、男側の加害性が何度も似た形で現れる。一晩で三回射精する男が何の説明もなく出てくる場面には、そこにリアリティを感じろということなのか、と少し笑ってしまった。もちろんそういう人もいるのだろうが、男の身体や欲望についてだけ、ずいぶん都合よく記号化されている印象はある。

大学生になるまでに空子が交際する二十人の恋人、という数字にも驚いた。人数の多さそのものより、ひとりひとりが人間というより、空子が経験する世界の断面として配置されている感じが強い。顔のある人物というより、加害する男、利用する男、保護するふりをして縛る男、欲望だけを押しつける男、といった役割が先に来る。いわゆる顔なしの竿役が延々と出てくる作品に近い、と言われたら、否定しにくい。

ただ、女が多様で男だけが単純、という読み方にも少し違和感があった。女性側も決して善良ではない。空子自身も、世界を相対化して眺めているようでいて、自分が弱い立場にいることにはずっと寄りかかっている。ピョコルンに対する女性たちの態度も醜いし、女性同士の連帯がいつも他者への排除や搾取に変わる。男だけが悪いという単純な話ではなく、搾取できる構造に置かれた人間が、その構造に合わせて愚かになっていく話なのだと思う。

それでも、男の描き方が気になった。悪い男が多いというより、悪い男の言い分や手口が、驚くほど同じなのだ。現実の加害者が似たような言葉を使う、ということはあるのだろう。けれど小説では、同じ型の男が何度も現れると、社会の分析というより、作者の中にある男性像の反復に見えてしまう。男性の加害性を描くことと、男性を悪魔として置くことは別のはずだ。

白藤の存在は、その単純さに気づかせるためのものなのだろう。男社会に盾突く白藤と、現状を肯定して要領よく生きようとする空子。その対比が、この物語の中心にあるように感じた。白藤は正しいことを言うが、正しいことを言うだけでは人を救えない。空子は白藤を冷笑しながら、結局はその問題から逃げられない。ところが、白藤の言動を笑う場面が繰り返されるので、作品が白藤を批判しているのか、白藤の問題提起そのものを矮小化しているのか、途中から分からなくなった。

たぶんこれは、フェミニズムの正しさを説く小説ではない。むしろ、フェミニズム的な言葉も、男性嫌悪も、被害者意識も、欲望も、全部が誰かを傷つけながら循環する世界を描いている。だから「男を悪魔化している」とだけ言うと足りないし、「女も醜く描かれているから男女平等だ」と言ってしまうのも違う。主人公が女性なので、女性の側の感情や逡巡が細かく見えるだけで、構造としては誰も加害性から逃れられない。

とはいえ、思考実験として読むなら、もう少し世界の成り立ちを納得させてほしかった。科学技術は非常に進んでいるのに、倫理観や社会制度との釣り合いが悪い。なぜこんな世界になったのか、その過程が想像しにくい。極端な例を積み重ねて現実を照らす手法なのは分かるが、極端さを支える背景が薄いので、思想実験というより作者のルサンチマンを見せられているように感じる瞬間がある。

もちろんフィクションなのだから、現実の男性を代表していない。女性向けのファンタジーとして、男性を露悪的に配置する表現があってもいい。逆に、男性作家が女性を薄っぺらく描く作品はいくらでもある。創作物に男女平等の理念を必ず求める必要もない。嫌なら読まなければいいし、好きな人がグロテスクさや欲望の形を楽しむのも自由だと思う。

ただ、批評まで「フィクションだから」で封じる必要はない。普段は表現の自由を掲げて、現実と創作を混同するなと言っている人たちが、こういう作品になると急に作者や読者の人格の話を始めるのも面白い。読まずに第三者の感想だけで叩くのは論外だが、読んだうえで「この男たちの描写はしんどい」「この世界の構造には説得力がない」と言うことまで禁じる理由はない。

『家畜人ヤプー』や、同じように人間を極端な役割に押し込める作品と比べたくなる気持ちも分かる。人間を悪魔化する表現は、権力者に向ければ社会批判になり、弱い立場の人間全体に向ければただの醜い偏見になる。その境目は、作者がどこまで自分の欲望や偏りを見ているかにかかっているのだと思う。

『世界99』は、SFとしては読ませる。先が気になって、長さのわりにはあっという間だった。でも、読み終わって爽快になる本ではない。男が悪い、女も悪い、世界が悪い、という結論にもならない。ただ、誰かを類型化して安心することの気持ち悪さと、その安心から自分も逃れられないことだけが残る。そこを狙った作品なら成功しているし、そうでないなら、作者自身もまた「匠くん」的な何かに取り憑かれているように見える。私の中にも同じものがいるのかもしれない。だからこそ、面白いのに、もう一度読みたいとは思わない。