最近、ネットでプレジデントの記事を見かけると、本文を読む前にタイトルの型を確認するようになった。「そりゃ一発アウトだわ」「一発アウトな人の特徴」「結婚できない人がかけている一発アウトのメガネ」――このあたりの言い回しが、妙に繰り返されているからだ。

もちろん、記事の見出しには役割がある。限られた文字数で内容を伝え、読者の興味を引き、クリックしてもらわなければならない。編集者が工夫するのも、アクセス数を気にするのも分かる。ただ、同じ言葉が何度も現れると、工夫というより手癖に見えてくる。ひとつ当たった表現を見つけたので、以後はそれを使い続ける。そんな編集会議の光景まで想像してしまう。

「一発アウト」という言葉自体も、考えてみると不思議だ。野球なら三アウトで攻守交代だし、サッカーなら一発レッドカードで退場になる。両方の印象が混ざっていて、厳しいようでいて、どこか大げさでもある。人の服装や髪型、話し方、履歴書の書き方まで、たった一度の判定で失格にする。その強い言葉が、見出しの中では便利な刺激として使われている。

最初は身だしなみや振る舞いについてのダメ出しだったように思う。ところが最近は、髪型や眼鏡、顔つきなど、本人の努力だけでは簡単に変えられない部分にまで「アウト」の判定が広がっている。清潔感という曖昧な基準を持ち出して、男性にも女性にも「こうでなければ駄目」と言う。読者の不安や劣等感を刺激すれば、確かにクリックは集まるのかもしれない。でも、それを繰り返すメディアを見ていると、読んでいる側の心まで荒れていく感じがする。

さらに、「そりゃ書類選考で一発アウトだわ」のように、別の定型句と組み合わさることもある。「できない人」「末路」「正体」「二流三流」「ピシャリ!」。いくつかの部品を並べ替えるだけで、いかにも強そうなタイトルが完成する。内容を読む前から、結論と感情の方向まで指定されている。これは記事というより、見出しの大喜利に近い。

検索してみると、同じ言葉を含む記事が次々に出てくる。数えた人によれば、二十三発アウトになるらしい。そこまで並ぶと、批判するより先に笑ってしまう。完全試合達成目前、という表現まで浮かぶ。読者がタイトルの反復そのものを話題にし、ブックマークで「また一発アウトだ」と書く。結果として、編集部が狙った以上に、その言葉だけが広まっていく。

ただ、笑って済ませていいのかとも思う。タイトルは編集部が付けるものだから、執筆者の文章がそのままこうなっているとは限らない。中身を読まずに煽り文句だけを載せているなら、著者にも読者にも失礼だ。逆に、タイトルが内容を大きく歪めているなら、責任を編集部だけに押しつけるのも違う。誰がどの段階で、どんな基準でこの言葉を選んでいるのかは気になる。

「一発アウトを入れるとPVが何パーセント増える」というデータが本当にあるのだろうか。あるいは、過去に伸びた見出しを見て、経験則だけで使っているのか。もし後者なら、数字を見ながら人間の不安を少しずつ強くしていく、かなり古典的な商売である。電車内の広告にある、あなたは大丈夫ですか、と脅してから商品を勧めるやり方にも似ている。

とはいえ、こういう定型句を見つけてしまうと、次に何が来るのか予想したくなる。「そりゃ増えるわけだ」「知らないと損」「実は逆効果」「今すぐやめたい習慣」。見出しの型を当てるゲームとしては、少し面白い。自分でも、記事を読むためではなく、次のワードを確認するためにページを開いている瞬間がある。そう考えると、まんまと釣られている。

だから最近は、プレジデントの記事が表示されても、まずミュートすることにした。役に立つ記事が絶対にない、とまでは言わない。ただ、読む前から誰かを「アウト」にする語り口には、もう付き合わなくていいと思った。人を一発で判定する見出しを、こちらも一発で読まないと判定する。そんな小さな対抗措置である。

次に流行る言葉が何なのかは分からない。「危機一髪」なのか、「完全に詰み」なのか、それともまた別の強い言い回しなのか。いずれにしても、同じ表現が何十本も並んだとき、読者が覚えるのは記事の内容ではなく、編集部の手癖だろう。そこまで見抜かれてしまったら、さすがに一発アウトなのではないか。