字が綺麗というのは、かなり得な特技だと思う。

子供の頃から書道をやっていて、毛筆も硬筆もそれなりに書ける。大人になってからは手書きの機会自体が減ったけど、たまに書類やメモを書いていると「字が綺麗ですね」と言われる。先生とか病院の職員さんに言われると、なんとなく嬉しい。字が綺麗なだけで、丁寧そう、誠実そう、知的そう、育ちがよさそう、みたいな印象を勝手に持ってもらえることもある。

もちろん字が綺麗だから人格が良いわけではないし、字が汚いから性格が悪いわけでもない。医者の字は汚いという定番のイメージもあるし、絵がものすごく上手いのに字は読めない人もいる。書字障害や発達特性などで、本人が努力しても綺麗に書くのが難しい人もいるだろう。そういう人まで「努力不足」「育ちが悪い」と言いたいわけではない。

ただ、増田で字の汚さについて書くと、すぐに「今どき手書きなんてしない」「読めればいい」「字が汚くても困らない」と擁護されるのがよくわからない。字が綺麗である必要はない、という話と、字が綺麗なことには価値がない、という話は違うと思う。

手書きのメモを渡されて、何と書いてあるのかわからず、内容が頭を素通りしていく経験はある。読む側に余計な負荷をかけるほど判読しづらい字は、少なくともコミュニケーションの道具としては不親切だ。下手でもいいから丁寧に、せめて他人が読めるように書く、という気遣いはあってもいい。

冠婚葬祭で名前を書くときもそうだ。ご祝儀袋や香典袋に自分の名前を書く場面で、綺麗な字の人に頼みたくなる気持ちは理解できる。履歴書や試験、職場の手書きメモなど、まだ手書きが残っている場面もある。頻度が少ないからこそ、そこで綺麗な字を書ける人は目立つ。

書道を習えば誰でも上達するとは思わない。毛筆とペン字は別物だし、習字を何年やっても普段の字が汚い人もいる。実用目的なら、書道より硬筆やペン字のほうが効率がいいのかもしれない。少しずつでも、ゆっくり丁寧に書く練習をすれば、読める字には近づけると思う。

要するに、綺麗な字は加点要素だと言いたいだけだ。綺麗な人を褒めることと、綺麗でない人を腐すことは両立しない。特別な事情のある人を責める気はないが、汚い字でも別にいいだろ、と開き直って、読む側の苦労まで無視する態度には少し違和感がある。

ちなみに大人になって「学生時代は何部でした?」と聞かれて「書道部です」と答えると、「え? ぷぷっ(笑)」みたいな反応をされることが何度もあった。だから少しムキになっているのかもしれない。でも、字が綺麗で褒められるのは普通に嬉しいし、できるなら身につけておいて損のない資産だと思っている。