増田を書いていると、たまに自分の文章が自分の知らないところまで運ばれていくことがある。

今回、ある増田が1000万インプレッションを超えたらしい。投稿画面で見える数字なのか、外部に転載された分まで含むのか、そもそも誰がどう数えた数字なのかはよく分からない。ただ、はてなの中だけで読まれていると思っていたものが、Xで引用され、まとめられ、動画の題材になり、そこからまた別の場所へ流れていく。そういう流れが珍しくなくなった、という話だと思う。

昔の増田は、はてな村の中で完結するものだった。タイトルを見て、本文を読んで、ブックマークコメントで大喜利をして、たまにトラバが飛んできて、小見出しや引用を使った書き方が分からないまま何年も過ごす。そういう、外から見るとかなり分かりにくい遊び場だった。

それが今は、増田そのものがニュースの出典みたいに扱われることがある。何年も前の投稿が突然Xで「こんなことがあったらしい」と紹介され、時事系の動画で取り上げられ、コメント欄ではブコメまで拾われる。逆に、Xで見かけた話を増田に転載して、それがまた外へ出ていくこともある。どこが出発点なのか分からない、完全なカオスだ。

1000万という数字だけ見ると、個人が書いた日記としてはとんでもない。テレビや大手ニュースサイトならともかく、匿名で、誰が書いたかも分からず、内容の正しさも保証されていない文章に、それだけの目が集まる。

一方で、珍しいから見られているだけという感じもする。はてなというガラパゴスで生まれた珍獣が、いつの間にか動物園の外へ出荷されている。文章の価値が上がったというより、観察対象として面白がられているのかもしれない。

しかも、増田は自演も仕込みもできる。自分で投稿して、自分で別の場所に持っていって、反応を集めて、またその反応を記事にする。自然に注目されたように見せることもできる。いわゆるマッチポンプだ。昔のまとめサイトと何が違うのかと言われると、たしかに困る。

無断転載も多い。全文転載、スクリーンショット、タイトルだけの紹介、ブックマークコメントの切り抜き。転載禁止と書いてあっても、広がるときは広がる。著作権や時効の話まで出てくるが、個人でいちいち対応するには費用も手間もかかる。仮に大きな金額を取り戻せるとしても、そこまでして争う人がどれだけいるのかは分からない。

とはいえ、外部に持ち出されることで読者が増え、書いた人が注目されることもある。読む人が多いプラットフォームが正義、という考え方も理解できる。匿名日記なのだから、誰にも読まれないよりは読まれたほうがいい。ブックマークが一つ付いただけで喜んでいた時代からすると、1000万という数字は夢のようでもある。

はてながこの流れをうまく収益化できればいいのに、とも思う。投稿者への投げ銭や、転載・紹介を含めた何らかの還元があって、プラットフォームにも手数料が入る。長年ここで文章を書き、読んで、コメントしてきた人たちが、単なる養分ではなく持ちつ持たれつの関係になれれば理想だ。

実際には、誰がどれだけ読んだのかも、どこまで広がったのかも、かなり曖昧だ。11億という数字がどうとか、数百万の読者がいるのではとか、景気のいい話だけが独り歩きしている。自分のブコメにも数百万の読者がいるのかと思うと、少し面白いし、少し怖い。

増田はもう、はてな村の中だけの落書きではないらしい。かといって、立派なメディアになったわけでもない。創作かもしれないし、事実かもしれない。誰かの体験談かもしれないし、注目を集めるための仕込みかもしれない。その曖昧さを含めて、外から見ると使いやすいネタなのだろう。

ここもじき腐海に沈む、みたいなことを言う人もいる。でも、20年近く大喜利を続けてきた場所が、今さら急に健全なプラットフォームになるとも思えない。治安は悪い。無断転載もある。煽りもある。たまに本当に危ない投稿もある。

それでも、賑わっているだけまだマシだと思ってしまう。誰かが書いて、誰かが読んで、誰かがコメントする。その文章が外に流れて、別の場所でまた読まれる。良いことなのか悪いことなのかは分からないが、増田はそういう時代に入ったのだと思う。

自分の投稿が1000万インプレッションを超える日が来るかどうかは知らない。たぶん来ない。そもそも、何を書けばそんなに読まれるのかも分からない。

ただ、もし読まれたとしても、書いた本人には通知一つで終わるのだろう。座布団の一枚くらいは、はてなから贈られてもいい気がする。